日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

無駄に傷つかない

こんにちは。

今日もよく晴れています。

風が強くて、空気が軽くなってきていて、

暑い暑い夏から、少しだけ、季節が進んできているなぁと感じます。

 

昨日の夜も、風がびゅうびゅう吹いていて。

寝ころびながら、カーテンがふわーんふわーんと揺れているのを

子供と眺めました。

静かで幸せな時間でした。

 

 

「無駄に傷つかない」

先程、お皿を洗っていて、ふと、浮かんだので、

それについて書いていこうと思います。

 

恥ずかしながら、私は、「自分」と「自分が好きになった人」の感覚は

違うんだ、とはっきり、ぱっきりとわかったのは、

結構大人になってからです。

どうしてか、なぜか、私の見ているままに、隣にいる彼も見ている、と

信じていたし、

私の感じるままに、隣にいる彼も感じているはずだ、と

強く信じていました。

だから、もっと若い頃は、自分の感じるものを、見えているものを、

一番近しい人(彼、だったり、今なら主人)と分かち合いたい、という気持ちが

強かったです。

わかって欲しい、わかって欲しい、と強く、思っていました。

 

多分。

小さい頃から、今思うと、HSP感丸出しの感性だったので、

父や母、姉(当時の一番近しい人たち)とは、何かが違う、と感じていました。

だから、自分が好きになる人には、それまでわかってもらえなかった分、

強烈に「私をわかってーーーー!」という気持ちをぶつけてしまっていました。

 

今なら、これって

甘えだよなぁ、ってよく、わかります。

 

 

「私」と全く同じ感性の人は、きっといないと思います。

私の完全コピーは、世界中どこを探してもいません。

それは、個々の人間、みんなに言えることだと思います。

みんながみんな、それぞれで、全員、違っている、のです。

 

「私」の感覚、感性を、そのままにわかってくれるはずだ、と

信じていたからこそ、無駄に傷ついていたんだ、と今ならわかります。

 

ひゅーーっと世界を遠くに見て。引いて、引いて見て。

あ、そうか、例え自分が好きになった人であっても、

自分の完全コピーではないし、

「私の感じるもの、見えるもの」と「彼の感じるもの、見えるもの」は

全然、違うんだ、と、遅ればせながら、ある時気づきました。

 

美術館へ一緒に行って、隣に立って、同じ絵を見ていても。

同じ絵を見ていても、人それぞれ、見ている部分は違うし、

感じるものも違うし、印象に残るものも、違うんだ、ということです。

私は木を。彼は空の雲を。いいね、と思う作品も。

 

これに気づくまでに、これまた大変な時間を要しました。

 

「自分は自分」「(一般的な)人は人」とよくわかっていましたが、

「自分は自分」「自分の好きな人は自分の好きな人(ありのままのその人)」という

のが、うまくわかれなくて、境界線がぐちゃぐちゃで、

どうして、わかってくれないの?どうして、そんな傷つくことするの?と

なっていました。

 

でも、違いますね。

例え、自分が好きになった人であっても、どこかが自分と溶け合っている、なんて

ことはないんです。

私は、感性・感覚が溶け合っているはずだ、と勝手に、信じていただけでした。

 

「誰かにわかって欲しい」「この感じ、この気持ちをそっくりそのまま知って欲しい」

と思っていたら、無駄に傷つくだけです。

いいんです。外に求めなくても。

きっと、「自分」がちゃんと「自分」の気持ちをわかって、知ってあげれば、

いいんです。

 

境界線を引く。

これって、知らなかったけど、大切だなぁって思います。

私は、これは嫌だと感じるけど、貴方は、これは嫌だと感じないんだね。ふむふむ。

これで、終わりです。お互いの感覚を尊重します。

 

貴方はどうして、これを(私と同じように)嫌だと感じないの?と

やり始めたら、

自分の感性、感覚が世界の絶対であると信じていて、そう感じないのはおかしい!と

価値観を強要しているだけ、なんですよね。

 

それに。

逆のことだってもちろんあり得ます。

私の感覚が彼を傷つける。

傷つくのは自分だけ、ではないのです。

自分が、傷つけてしまうことだって、あるのです。

 

感性、感覚、みんなそれぞれなんです。

みんな、違っているんです。

 

これをちゃんと理解できるようになってから。

私は、完全にひとりで、誰とも違っていて、個の種(しゅ)なんだ、と

うーん、意識がぴしっと立つ、というか、からだの中に一本、柱が立ったみたいな

気持ちになりました。

 

みんな、みんな、みんな、みんな、違う。

 

だからこそ。

共通点が見つかったり、あ、似ている部分がある!とわかった時、

強く嬉しいなぁ!って感じられるようになりました。

 

ずっと昔。

自分と何もかも、ぴしっと合う人がいるはずだ、と信じていました。

でもきっと。

この部分はこの人と、こっちの部分はあの人と、これはこの人と、

分かち合えそうだな・・・・、とすればいいんだと思います。

ひとりですべてを賄うことはできない、のです。

 

そして、傷つくのは自分だけではなくて、自分も誰かを傷つける

可能性があるのだ、と知っておくこと。

 

 

読んで下さってありがとうございます。