日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

当たり前ワールド/ありがとうございますワールド

こんにちは。

今日もいいお天気ですね。

夏の素敵なところは、洗濯物ががしがし乾くところ。

大きなシーツもお布団カバーも安心して洗濯して、干せるところ。

夕方、まだ空は明るくて、冬だったら、とっくに暗くなっている時間も

まだ明るくて、生ぬるい風が吹いていて、

ああ、今日も無事に1日が終わろうとしているんだなぁと

しみじみ嬉しくなれるところ。

冷たいビールがとってもおいしく感じるところ。

 

さて、では。

当たり前ワールド。

私は、前は、当たり前ワールドの住人でした。

なーんだって当たり前。

ごはんがあるのも、自分が健康でいるのも、お金があって、何かを買うのも。

あらゆることを、「普通」に見ていました。

 

そしてある時、結婚する前で、夫がまだ彼氏だった頃、彼に言われた言葉。

「感謝がないよね」

 

感謝がない。感謝がない・・・・・・。

 

 

その時、私は心の中で、

「感謝がない。感謝?うーん、特別ありがたい、って確かに思えないなぁ」

と感じたのを覚えています。

でも、その言葉が引っかかりました。

 

私には、どうやら、「感謝する心」というものが足りなさそうだ、と。

 

感謝する心、感謝する心。

 

そうして、少しずつ、少しずつ、感謝する心について

勉強し始めました。

今思うと、私は何だって当たり前、の視点で物事を見ていて、でも

「ありがとう」という言葉は発していました。

 

ありがとう。ありがとう。

 

ありがとう、と心の底からわかっていないくせに、形式上、表面上、

「ありがとう」という言葉をシールみたいに使っていました。

軽い、(本来の)気持ちのこもっていないありがとうシール。

 

ありがとう、ペタ。

ありがとう、ペタ。

 

ありがとう、の本当の意味を知らずに、ありがとう、というただの言葉だけ

だったと、今はわかります。

 

自分の中で正直に、いろんなことが当たり前だよーに見ていてる自分がいて。

でも、どうしたら、同じ世界を、ありがとう、ありがたいなぁに変換できるんだろう、

という試行錯誤が始まりました。

 

自分の中のダイヤルをガチャン、ガチャンと調整する日々でした。

その都度、あーこれは、まだ当たり前だわーって感じちゃっているなぁと

自分の心に正直に。

ではもう少し、調整する必要があるんだなぁ、と。

当たり前ワールドチャンネルから、ありがとうございますワールドチャンネルへの

変換ダイヤル。角度はどれくらい回したらいいの?

5度?え、ダメ、もう少し?あと、10度?まだ?と。

 

 

当たり前ワールド視点、って私の傲慢さの表れ、だったわけです。

傲慢だったから、何でも当たり前、何でも普通に見えていたわけです。

傲慢さを少しずつ少しずつ薄くして、そうして見えるようになった世界は、

あらゆることが、なんてありがたいんだろう、に変わりました。

 

夜中に地震津波も何事もなかったからこそ、平和にまた朝を迎えられる、ということです。

自分のからだが、病気に侵されていたり、ケガをしていないからこそ、

こうして、自分の家のお布団で寝て、目覚められるわけです。

元気なからだを頂けたからこそ、朝ごはんの支度ができたり、洗濯物を干せたり、

家族や犬のお世話ができる、ということです。

夫が健康なからだで、仕事ができるからこそ、お給料を頂けて、生活できている、ということです。

お給料があるからこそ、食べ物を買うことができて、お布団や洗濯機、生活に必要なものを買うことができる、ということです。

 

そもそも、命を頂けたからこそ、今こうして、考えたり、何か行動したり、文章を書いたりできるわけです。

 

冷蔵庫の中にあるキャベツ。私が作ったものではありません。

キャベツの苗を育てようと思ってくれる人から始まって。

育てる畑を持っている人がいてくれて、

キャベツを栽培する仕事をしようと思ってくれる人がいてくれて、

キャベツを箱詰めしてくれる人がいてくれて、

キャベツをトラックに載せて運ぶ仕事をしてくれる人がいてくれて、

キャベツを市場まで買いに行ってくれる人がいてくれて、

キャベツをお店に並べてくれる人がいてくれて、

レジの仕事をしてくれる人がいてくれて、

今、こうして、私の家の冷蔵庫には、キャベツがあるわけです。

 

キャベツだけではありません。あらゆるもの。

見えないところで、たくさんの人が仕事をしてくれて、初めて、

家にキャベツやにんじんや、肉や、魚やパンや、洗剤や、シャンプーや

ソファや、時計や、やかんが、あるわけです。

見えるものだけではありません。

医療行為や、何かのサービス、技術、情報、知識。

みんなの生活が、滞りなく流れるようにしてくれているもの、人たち。

 

この視点で物事を見ると、

あらゆることが、「普通」なんてものではなくて、「奇跡」の連続で

成り立っているんだとよくわかります。

この奇跡をありがたい、と感じます。

みんな、みんな必要だ、と。

仕事の優劣なんてありません。どれも必要な仕事です。

その奇跡の連続を当たり前、と見てしまうようになったら、

謙虚さを忘れてしまっている、ということです。

 

これは、自分への戒めでもあります。

人は悲しいけれど、慣れてしまうものです。

 

だから、意識して、毎日を過ごしたいです。

気づかせて頂けて、ありがとうございます、なのです。

 

読んで下さってありがとうございます。