日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

しゅわっと溶けたこと

こんばんは。

日差しが夏みたいに強いのに、空気は少しだけ涼しくて、

そう、これが爽やか、というものだ、と

気づきました。


こんな時にお散歩するのは本当に気持ちがいいです。



今朝の出来事です。


繰り返し、私にやって来ていたサインがありました。

宇宙に、すべてを委ねてください、と。


力を抜いて、自分の出来る範囲でやればいいや!と思って、やっていました。


でも、繰り返し、このサインはやって来ていました。


はて。

ふーむ…。


今朝起きてすぐ、ふいに、

そのことを考えました。


本当にふいに、でした。



私は、まだ何を、必死にがんばろうとしてしまっているのだろう…と。


…………。





!!!!!




ここから抜け出すために、

経済的にどうにか自立しなくちゃ!と

思っている、と

見えた瞬間。



炭酸飲料のしゅわしゅわのように、

しゅわーーーーっと、

肩の力、そして胸のあたりから

何かが下へ向かって溶けていきました。


すごく、びっくりしました。

(かなりの強炭酸でした)


そして、ずっとずっとずっと、

本当に知らないうちに、

無自覚に、

からだに力が入ってしまっていたことに気づきました。

いや、これを体感して、わかりました。



肩の力を抜きなさい!

ゆるーくね!


と言われても、たぶん私はずっと

肩の力を、からだの力を抜くことができなかったのです。


そもそも、からだに力が入っていない状態、というものを、

本当にいつからか、なのかはわかりませんが、

わからないでいたのです。


整体へ行っても、整骨院へ行っても、

施術者が驚くぐらいに、

筋肉がこわばって、硬い、と言われていました。


肩と、心に、知らないうちに力が入っていました。


無自覚、というのが、また、怖いです。


今こうして、肩からも、心からも力が抜けた状態で。

からだが、そして気持ちがふわーっと

軽くなりました。


自分で、どうにかしなくちゃ、と

奥の奥の方では、ずっと

がんばってしまっていたようです。


それをきっと、やっと、手放すことができたのかもしれません。


このふわふわで、

どうなるのか、宇宙に委ねて生きてみようと思います。


また新たな実験です。


読んでくださってありがとうございます。


自然の力

こんにちは。

今日はとてもよく晴れていますね。

日差しが強くて、時々暑いぐらいです。


なんだかずっと、薄いどろどろのゼリーの流れに逆らって、少しずつ歩いているような、

とっても重くて、なかなか前に進まないような、

不思議な日々を過ごしています。


これは、いつぐらいからでしょうか。

恐らく、3月初め頃から?


突然ふわっと、何十年も前の嫌な記憶や思い出が蘇って来たり。


ああ、あの時、私は本当はすごく傷ついていたんだなあ…と認識を明確にするような。


ぷわん、ぷわん、と染み込んだ油の汚れのように、

傷ついた小さな思い出や記憶が、

私から抜けて行っているんだなあ…ということは、

ぼんやりとわかっています。


気分があまり優れなくて、

なかなか辛い時です。


今週の月曜日は、

自分の中が、もうカラカラになってしまっている感じがして、



今、今、何が必要?

このカラカラには、何が必要?

と緊急で聞いてみたところ、


自然の中で、木の中で、

何も考えずにぼーーーーーっとしたい、

という答えだったので、

代々木公園へ行って、

本当にぼーーーっと呆けてきました。


原生林、みたいなところへ行って、

緑に包まれて、

耳からは鳥の鳴く声だけが聞こえていて。

土の匂い。静けさ。


自然が作り出す、緑色のバリエーションに

目を奪われていました。

深緑、濃い緑、モスグリーン、鮮やかな黄緑色。

何種類もの絵の具や色鉛筆を用意しても、

まだまだ足りないぐらいの

微妙な違いのある緑色。


すごいなあ、と、ただただ感じました。



おととい、昨日、そして今朝も、

家の近くにある山道を、

犬と散歩してきました。


なーんだ、家のすぐ近くにも、

こんなステキな緑がたくさんあったのか…

と改めて感じました。


自然に囲まれて、

頭を空っぽにしていると、

とても回復することに気づきました。


木漏れ日。

チラチラと風で揺れる葉っぱの間から

太陽が見えます。


ウグイスが鳴いていたり。

 原っぱには、モンシロチョウやらモンキチョウ

ふわふわ飛んでいます。

地面の近くには

テントウムシやアリやダンゴムシ

もそもそ動いています。




どこにいるんだろう、と

わからなくなってしまうぐらいの

平和な風景です。


豊かで贅沢な時間です。


読んでくださってありがとうございます。



ある体験 の続き

こんばんは。

今日は子供たちと、素敵なお散歩をしました。

次女はだんだんと重くなり、抱っこひもでは自分がしんどくなってきました。

なので、ベビーカーに乗せて、長女と犬と私と、4人でお散歩しました。


まだ桜が半分ぐらい残っていました。

時々風がびゅうっと吹いて、ぴらぴらぴらっと、儚げに桜の花びらが散っていました。

季節外れの雪みたい。


ぴらぴらぴらーっと。


目を奪われてしまいます。


歳をとった犬に合わせて、そして、

ベビーカーがどしんどしんしないようにゆっくり。


でも、ゆっくりと歩くことは、とっても素敵です。


みんな、同じように、同じ時間を与えられていて、でも、それを

自分の意思でゆっくりと大切に使うのは、

とっても素敵です。


ああ、これだ。

心地いいのはこれだ、と感じながら歩きました。


この前の、ある体験、の続きです。


昨日の夜、無性に

瞑想したい!という気持ちになり、

気持ちのままに、瞑想をしていました。


暗い部屋で、目をつぶって。



しばらくしていると、

頭の上に白い光のようなものが見えてきました。

上へと繋がっていました。


そして、私の中に居たたくさんの女の人が、

ニコニコと微笑みながら、その光のエレベーターに乗って、上へと昇って行きました。


白いワンピースみたいなものを着た人とか。


ここにいる私には、つつっと、涙が出ていました。


たぶん、きっと。

私の中にいたたくさんの女の人の気持ちを、

昇華できて、

やっと、やっと、

みんな、安らいだ気持ちになれたんだなあ…と感じました。


とてもよかったです。

彼女たちが安らげて、本当によかったと思いました。


私の、心臓のあるところが、

すっと、軽くなっていました。


面白い体験です。


私はどこへ向かっているのでしょう…


読んでくださってありがとうございます。



ある体験

こんにちは。

今日は雨らしい雨ですね。

気温もがくんと下がっているので、

体調に気をつけて下さいませ。


さて。

さて…。


昨日は午後から、気もそぞろ、というか、

得体の知れないそわそわ感と、

時々心臓がドキドキしたり、

なんだかとっても不思議な感覚がしていました。


そして、夕方から、

からだがどっと疲れてきて(金曜日の夜?というぐらい)

そして、胸の奥、ではなくて

頭の中に、「私」のものではない

悲しみみたいなものが広がっていました。

(厳密に言うと、「私だけのものではない」悲しみ、ですね)


頭の中に、白い円盤みたいなものがあって、

その白い円盤は、悲しみでいっぱいでした。


ふーむ。

なんだろう。


例えば、私はまだ知らされていないけれど、

知っている誰かが亡くなっていた、とか、

知っているどなたかが

とても悲しい出来事に襲われているのかな?

とか、

そんなふうに、ぼんやりと感じていました。


夜になって。


たぶん、普通に生活していたと思います。

夜ごはんを用意して、子供たちと一緒に食べて。


でも、犬が床でうんちをし始めてしまって。


それがきっかけ?となって、

うわーーーっと、ものすごい悲しみが襲ってきました。


それは、今のこの「私」だけでない

もっともっと奥底からすごい勢いで滲み出てくる

悲しみと、怒りと、悔しさと、諦めと、絶望感と、屈辱感と、

とにかくそういった、重い負のエネルギーに満ちた感情が噴き出してきました。


ただただ、湧き上がる感情のままに、

激しく泣きました。

慟哭、というようなものだったかもしれません。


その時に感じていたのは、

本当に強い強い悲しみで、

目の前には、丁寧に「絶望」という文字まで見えました。

頭がぐらんとして、

こんなに悲しいのなら、死んでしまいたい、という

思いも感じました。


そして、その時見えていたのは。


今のこの「私」になる前の、

風貌や国籍、境遇、生まれた時代は違っているけれど、

ずっとずっと続いてきた、全部の「私」という魂が感じ取ってきた

悲しみと怒りと絶望でした。


断片的に、でしたが

いろいろな女の人が見えました。


その思いは、

そういう時代だから、とか、

女だから、とか、

風潮だから、とか、常識だから、とか、

世の中の価値観だから、とか

そういったものにカバーされて、

なかったことにしなければならなかった

悲しみや怒りや絶望感でした。


暴君な夫の言いなりにならなければいけなかった女の人の姿や、

その時の時代で?

頭がとても良くて聡明だったけれど、

女だからという理由で表に出られなかった悔しい気持ち、

そういったものが一気に噴き出してきました。


ただ、ただ、

私は、彼女たちの深い悲しみを

受け取って、昇華させる受け皿になったようでした。


魂のリレーは、わかっていました。

自分が、古い魂の持ち主なんだ、ということも、大人になってから、わかっていました。


ひとしきり、激しく泣いた後で。

魂のリレー。

知識や叡智だけでなく、

悲しみや、悔しさ、屈辱感、怒り、

大切に、ただ大切にされたかったのだ、という

女の人たちの強い悲しみ、

そういったものも、魂に刻まれて、

リレーになっているんだ、とよくわかりました。

女性であるだけで、自動的に

貶められていたこと。


寝る前に、自分の中に浮かんできた女の人たちのことを思いました。

みんな、みんな、みんなが悲しい辛い思いをしてくれて、

そうして、今のこの私があるんだ、と

思いました。

いろいろな時代を生きてきた女の人たち。


私は、彼女たちの辛く悲しい思いを知って、恐らく、それをひっくり返す役目があるのかもしれません。


よくわかりません。

この出どころは。

でも、ずっと虐げられてきた女の人の立場を

ひっくり返して、

今とは違って、女の人をもっと大切にする

世の中にしなくちゃ!と

なんだか感じています。


面白い、そして、興味深い体験でした。


読んでくださってありがとうございます。



越境されたことによる気づき

こんばんは。

どうしましょう。春まっさかりです!

嬉し過ぎます。

桜はお団子みたいにぼわんと、たっぷり咲いているし、それはもう

豊潤、と感じるぐらいにたっぷりです。


土曜日、日曜日と、保育園がお休みの

娘たちと、恐らく今週末が盛りであろう

桜をたっぷり見てきました。


本当に、ご褒美みたい。

目が奪われて、口が開いてしまいます。


時々風が吹くと、ぴらぴらぴらーっと

桜の花びらが散ります。

遠くから見ると、雪のようで、

でもちっとも寒くなくて、本当に

幸せな風景です。



さて。さて。さて。

今日は、お花見(5歳の娘は桜見と、言い間違えています)がてら、

意地悪な寒さもないし、やっと

大好きなピクニックをしに行きました。


コンビニでおにぎりと、お飲み物と、おやつをたくさん買って行きました。


さすがに、今週は天気も良かったし、

お花見の人たちが多かったですが、

うん!ここがいいね、という

木の下にシートを敷いてピクニックを始めました。


大人になると、

どうしてでしょう。

地面に座ったり、寝転んだり、

ただ、ベンチにぼーっと座ってみたり…

そういう機会がぐっと減ってしまいます。


でも。

シートを敷いて、ごろーんと地面に寝転ぶと。

本当に懐かしいような、嬉しいような、安心するような、とても幸せな温かな気持ちになれます。


あー、そうそう。

これこれ。

知っていたけど。随分と久しぶりな感じだわーという、安心感です。


私も、久しぶりに寝転んで、

すぐ目の前にあるクローバーを見つめたり、

触ってみたり、草のかぐわしい香りを

嗅いでみたり、満喫しました。


木の下で。

葉の間からは、ちらちらと太陽の光が射していて。

ああ。

なんていい気持ちなんだろう!と思いました。




そして、本題です。


越境されて気づいたこと。


久しぶりに越境されました。


お花見ピクニックも終盤。

シートを片付けていました。

1歳9ヶ月の娘をベンチに座らせて、

とんがりコーンを食べていてもらいました。


そこへ。

小学生の男の子とそのお父さんがやって来て、

娘の隣に座りました。


1歳9ヶ月の娘は、早速彼らに手を振ったりして、

挨拶をしていました。


そんな時。

男の子が、

「こんな赤ちゃんに何食わせてるんだよなー」といきなり言いました。


……。


え?(お母さんである)私に?言っているの?


隣にいた彼のお父さんは、たしなめることもなく、

彼と一緒にお飲み物を飲んでいました。




あーーーもわもわ。


もわもわ過ぎました。


えーっとえーっと。

整理しようか。


うちの子が、とんがりコーンを食べていることが、君に、一体、

何の影響があるの言うの?


それをいちいち、口に出して言うことで、

一体、誰に、そして何に対して紛糾しているの?


あーさっぱり意味わからねー


もしも。

もしも。

自分の娘が、よそ様のお父さんやお母さん、もしくは息子さん、娘さんに対して、

そのような発言をしたら、

私は、ばっしーーんと叱ると思いました。


第一、他人に対して、ああだこうだ発言すること自体、とても失礼ですし、

それは、十分に越境している行為なんだよ、と教えると思います。 


そんなこと、全く言う必要はないし、

他人に対して、あれこれ言っている暇があったら、

自分のことをまずちゃんとしなさい、と

教えるなあと思いました。


私は、黙って、とんがりコーン中の娘の横で、

シートを畳んで、帰る支度をしていました。


その親子は、

牛と馬はどっちが大きいか、について話し合っていましたが、

それより大事な話があるだろう?

もわもわしながら思いました。


嗚呼、越境。


私は、越境されると、瞬時に見えないワイヤー?がびーんと反応して

臨戦態勢に入ってしまいます。


勝手に頭の中でゴングが鳴ってしまいます。

カーン



でも。でも。

こういうことが私に起こった、ということは、

私はまだまだ無自覚に、

どなたかを越境してしまっている、ということなんだなあ、と思いました。


もっと、もっと、さらっと、付き合っていけばいいんだなあ、と再確認しました。


影響を与えたい、とか、

何かを教えてあげたい、とか。

多分、それってもう、違うんだなあ、と。


もっと、他人に対して、何の意図もなく、

普通に、私のそのままで生きていればいいんだなあ、と

再確認しました。


ごはんのお支度をしながら、そんなことを考えました。


読んでくださってありがとうございます。

4月

こんばんは。

今日は気温がかなり下がっていますね。

みなさん、ご自愛くださいませ。


さて。

世界は4月です。

桜もふわーんと咲いていて、空気もびゅうびゅうで、新しい風をとても感じます。


2人の娘たちは新しいクラスへと進級しました。

新しいお部屋、新しい担任の先生。


1歳9ヶ月の次女は、早速敏感な反応を見せています。


今までの見慣れた、使い慣れたお部屋から移動して。

この前までいた、担任の先生方は目の前にいません。


新しく入って来た赤ちゃん組の保護者の方々も頻繁に出入りしていて、

いつもとは違った保育園の雰囲気です。


今朝は、おくるみのガーゼを離してくれませんでした。

心のゆらゆらに立ち向かうには、今は、

この大きなおくるみガーゼが必要みたいです。


大人になると。

さあ、この4月の新しい波に立ち向かおう、と、

いつもよりも頑張ったり、自動的に気負ったり。

でも子供は敏感です。

変化は、やっぱり、変化です。


うんうん。慣れるから。

いつかはちゃんと慣れるから。

だから、それまでの

ゆらゆらの時は、ゆらゆらさせてー!と。


我慢するよりも、数倍いいです。

ちゃんと、ゆらゆらして、変化を乗り越えて、そして、また、今のこれが、

「いつも通り」になったらいいと思います。

ゆっくり、時間をかけて。


だから。

みなさんも、変化の時、存分にゆらゆらして、

自分に優しくして下さいね。


OK OK 毎日よく頑張ってるぜ!と。



そして。

可愛いお話をひとつ。


お散歩している時、チェダーチーズみたいな、

お菓子のチーズ味みたいな色の

お花が咲いていました。


その中に。

花粉に体じゅうまみれて、疲れてぐっすり眠っている蜂がいました。

粉だらけで。


ああ、もう、疲れちゃったから、ここで寝ちゃおう、と。


ああ、なんて可愛らしい!


春はとってもステキです。


読んでくださってありがとうございます。


潜在意識に沈んでいた傷

こんにちは。

今日は白く曇っていて、寒いくらいの気温です。

保育園では、来週から

2人の娘たちは進級して、新しいクラスになります。

卒園するお友達や、退園、異動する先生たちと、今日でお別れです。

桜はお団子みたいにふわっと綺麗ですが、

やっぱり全体の空気に、寂しさがあって、

意識がそこに触れてしまうと、わっと泣いてしまいます。


でも、いいのです。

お別れする寂しい気持ち、悲しい気持ちを全部感じ切って、そうして、

来週から始まる新しいピカピカのスタートへ

ぴりっと切り替えます。



さて。

さて。

前回、前々回と、両親や姉との出来事について書きました。


自分の中に聞いてみて。

自分の様子をじっと見つめて。


本当に、すっかり、忘れてしまっていたけれど、思い出したことがありました。

この20年ぐらい、本当に、忘れていたのです。


この前、両親、姉と会った時。

そこに漂う雰囲気、言葉にはしないけれど、

母と姉が裏で交わしたであろう、私に関してのやり取りのようなもの、

そういったものを、バーっと感じ取って、

自分でも驚くような反応をしました。

(ものすごく怒りました)


それから数日経って。

自分の中の気付いていなかった

油の染みのように、ぷわーんと、

ある思い、傷が浮かび上がってきました。


私が大学生になった頃、

姉は社会人となりました。

そして、母は変わらずフルタイムの正社員として働いていました。

その頃、父は単身赴任で一緒に住んでいませんでした。


母と姉は、外へ出て仕事する、という同じ立場、状況で、

ひとりのんびりと大学生をしていた私を

思い切り追い詰めて、孤立させていました。


私たちはこんなに大変な思いをして仕事に出かけていると言うのに、

アンタはいい御身分よね!

好き勝手やっているし!

私たちのペースを乱すようなことをするし!


と、まあ、このようなオーラをがんがんに出して、私と接していたのです。


彼女たちの妬みやら、自分たちの思い通りに私が動かないことへの勝手な恨みやら、

それはそれは恐ろしい雰囲気の漂う家でした。


もちろん。

そんな針のむしろのようなところに居たくありません。

私にとって、のんびりとくつろげる家、なんていうものではありませんでした。


なので、私は、なるべく家にいないように、

学校の後は、アルバイトばかりしていました。


(母の、うーん、言ってみれば、

囲い込み?のようなことは、

私が小さい頃からやられていたことでした。


私が何か、母の気に入らないことをすると、

姉と結託して?囲い込んで?私を孤立させます。

そして、精神的にじりじりと追い込んでくるのです。)


表面上は、「何も気にしていない」

「私、大丈夫」「全然平気だもん」として、

生活していましたが、

帯状疱疹になったり、頭は円形脱毛になったり、

本当は、メンタルは打撃を受けていたし、私の奥底は深く深く傷ついていたようです。


そんな恐ろしい生活が4、5年続きました。


週末だけ帰ってくる父は、結局1度も介入することなく、いわば、

見て見ぬ振りをする人なんだ、と私は認識していました。


娘(私)を理解しよう、ありのままを受け止めよう、という考えは、今も昔も

全くない人です。

むしろ、母の言いなりにさせたい、

自分の考えが1番正しい、自分の価値観が絶対、そこに歯向かう私は、

「変人」「頭がおかしい」「考え過ぎ」

「大袈裟に反応する」等々、

本当に小さい頃からそんな扱いをされていて、

私は、深く傷ついていたのです。


思えば。

小さい頃から、守ってもらえる人がいなくて。

いつも、いつも、ひとりぼっちでした。

いつも、孤独で、いつも、自分ひとりで

立ち向かわないといけませんでした。


それが、本当に辛かったです。



無自覚だったけれど、その傷を、この前、母と姉がさっとかすってきたので、私は火がついたように怒り出してしまったのです。


それが、ぷわーんと、

布地の奥底に染み込んでいた頑固な油汚れのように、浮かび上がってきました。


その傷を、私に確認させるために、

起こった出来事だったのです。


そうか…深く、深く、私は傷ついていたんだな、と再確認しました。

我慢し過ぎて、潜在に深く沈んでしまっていた傷でした。


でも、これはいい兆候です。

顕在意識と潜在意識の垣根が低くなっていて、ネジがぐらぐらになってきています。


深く沈み込んでしまって、日常では

意識にさえ上がっていなかったこと。

これが、ぷわーん、ぷわーんと、浮かび上がってくるというのは、

自分をどんどん癒せる、ということです。


世界は優しいので、一気には来ません。

順番、順番にやって来ます。

そうして、ひとつひとつ、丁寧に癒していきます。

自分のありのままに戻るために。


はー…それにしても。

何てタフな設定をしてきたんだろう、私の魂は!と思います。


悲しい思いをたくさんしている人は、

人に、優しくなれます。

これが、目的なのかしら。


読んでくださってありがとうございます。