予告なしの発砲
こんばんは。
晴れて、風が強くて、空気が軽い1日でした。
少しずつ、秋に近づいている感じがします。
この感じ。
私は秋の運動会の日の朝、みたいな気持ちになります。
暑過ぎず、重過ぎず。空が高くて。
本当は、いつだって、世界はいつだって、こうして
いろいろな変化を見せてくれているのに、
忙しく生きているのを選択していたら。
全然気づきませんよね。1年を通して、咲く花に変化があったり、
木の葉っぱの色や量、空気の重さや、空の色や。
私はもう、ゆっくり生きることを選択します。これから先も。
予告なしの発砲。
おー怖い怖い。
撃ちますよーと言われずに、いきなりズキューーンと。
え、待って待って、避けられたかもしれないのに。隠れられたかもしれないのに。
予告なしの発砲とは。
私はよく、これを子供の頃に母親にされました。説明もなしに、いきなり、突然、怒られる。しかも感情的に!
「叱る」ではなくて、「怒る」です。
私は、幸か不幸か、子供の頃からの記憶がとっても残っています。
そして、親にされた、「なんだよこれ!」とか「うわ、酷い!」というもの
たくさん残っています。
そして、母親に予告なしの発砲をされた時の、小さな自分は、
「え、そんなのいきなり言われても知らないよ・・・・」
とびっくりしたり、怒っている母親の様子に恐怖心を覚えたのを
覚えています。
私が思うに。
叱る、というのは、落ち着いた心持ちで、相手を諭すという狙いがあるけれど
怒る、というのは、当人の感情の赴くままに、当人のものさしを相手に突如ふりかざす、ということだと思っています。
怒る、というものの怖い点は、
言っている内容云々よりも、「うわ!怒っている!」というびっくり感と恐怖が
先にやって来る点です。
言っている内容が、たとえ冷静に落ち着いて考えて、うんうん、正しいよね、と
思えることであっても。
心は、「びっくり」やら「恐怖」をまず先に、拾ってしまいます。
びっくりしたり、恐怖心を感じ取った心には、もう、その時に相手が言っている
「正しいであろう」話の内容なんて、入って来ません。
だから。
正しく、相手に伝える方法を考えなくてはいけないのです。
相手に、どうやったら、「びっくり」や「恐怖心」ではなくて、
「話の内容」を伝えらえるか、聞いてもらえるか、ということです。
①湧き上がった感情に身を任せて、うわーーーーーっと言う
これは、×です。相手には、残念ながら、恐怖心とびっくりしか与えられません。
②当人がわかっていることが世界のみんなが知っていることだと思って
話を進めること
これも×です。たいていの人はテレパシーは使えません。わかっていない、を
前提に話を進めるのが得策かと思われます。
私も。
自分の子供たちに何かを注意する時、
丁寧に落ち着いて話すことを心がけています。
予告なしに発砲されて、小さな頃の私は、すごく、びっくりしましたし、
恐怖心、を覚えましたから。
それは、しちゃいけないよなぁ、って思います。
話し方って、すごく、大切だよな、って思います。
「ちょっと!これやってよ(怒りながら)!」と
「えっと、これをやってもらえると、今、すごく助かるー!」と言うのと。
同じ「これをやって欲しい」という要望を伝えるのにも、
前者だと、そんなに怒って言わなくても・・・・・となってしまうけれど
後者だと、OK、と相手も気持ちよく手助けしよう、と思ってくれます。
私の反面教師・母、のお話でした。
読んでくださってありがとうございます。