日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

自分だけ会議――イライラ

こんにちは。

昨日は午後からみるみる灰色の雲になって

そうして、雷ショーでした。

雷。世界はすごいことできるなぁって思います。

違う気圧の混ざったところで、ああしてびりびりびりーっと

電気を走らせることができるなんて。

あのドーーーーンという音も。

すごいなぁ。詳しくは調べていませんが、あのドーーーンの正体がわからないので

調べてみましょう。

今日もどうやら天気が変わりやすいようですね。

 

イライラする。

不平を言う。

不満を持つ。

文句を言う。

 

私を怒らせないで。私をイライラさせないで。

 

前、こういうふうに思っていました。

私の「周り」が、私をイライラさせる。

私の周りのできごとが、誰かが、私をイライラさせる。

うんざり。もうやめて。何なの一体!

なんで周りはこんなに嫌がらせばっかりするの?

 

でも。

どうやら違いました。周り、が悪いのではなかったのです。

 

イライラフィルターがかかっていたのは、私の心でした。

 

同じできごとでも、イライラする人と、イライラしない人がいますよね。

例えば、電車が何かで遅れています。

うわー遅延とか最悪。予定に遅れちゃう。ふっざけんなー!という反応をする人。

(私の母です)

 

もしくは。

うーむ、仕方ない・・・・。のんびり行きましょう。

私、だけでなくて、今電車に乗りたいみんなが受けている影響だからね。

こんな時もあるさ!という反応をする人。

(読書がはかどっちゃうわ!とか、たまにはこうして、ぼーっとするのもいいよね!

とか、あっという間に視点をいい方へ変えられる人)

(私の父です)

 

イライラする心ってどういう心だろう、と考えてみました。

何かに対して、こうであるべき、と硬固に信じていること、とか

(気づいていないけれど)「自分」のルールから外れていること、とか

世界の中心は「俺様」「わたくし」に見えてしまっている、とか

そういうことではないかな、と思います。

 

 

こうであるべき、っていつから、どうやって身についたことなのでしょうか。

どうして、こうであるべき、と思っているのでしょう。

「自分」のルールって広くあまねく皆に知られたこと、なのでしょうか。

これらは、とっても個人的なこと、なんですよね。

(これに気づけるまで、一体どれだけの時間がかかったことか・・・・)

 

自分ひとりで生きているのなら、それでもいいです。

ジャングルの中で、自分の力だけで、誰の助けも借りずに生きているのなら

「俺様」でも「わたくし」でも、いいと思います。

 

でも。

そういう人は、とっても少ないと思います。

私は日本語でこの文章を書いているので、

これを読んで下さる方は、恐らく日本に住んでいる方、外国に住んでいる日本人の方、もしくは、

日本語がわかる、文化のある世界に暮らしていらっしゃる方、だと思います。

 

周りには、ぐるっとたくさんの人がいると思います。

ご家族、お友達、会社の同僚、学校の方、立ち寄るコンビニの店員さん、

配達をしてくださる方、スーパーの店員さん、郵便局の方、いろいろです。

「自分」だけではなくて、たくさんの人の力を借りて、

普通に生活をしていらっしゃる方たちだと思います。

(たくさんの人の力を借りられるからこそ、「普通」の生活ができる、ってことです)

 

周りにいる人に、あくまでも「個人的な」「自分だけ」のものさしを

ふりかざして、

うわー最悪、とか、ふざけるな、とか、なんでこうなの?とか

あらゆる不平・不満をぶつけている、ということなんですね。

 

バーーーッと視点を遠くに、もしくは、高いところから見てみたら、

イライラする、文句を言うってとても幼いこと、なんですよね。

(過去に、何度も、文句が多いよね、とか、不平とか愚痴ばっかりだよね、と

言われたのを思い出しました・・・・・)

 

でも。逆手にとって。

イライラするわーっていう時、落ち着いて、自分の心に聞いてみたらいいです。

「何、に、イラっとした?」

「今、なんか、怒っているよね?でもどうして?」と。

自分だけ会議です。秘密の自分だけ会議です。

 

そうすると、ちゃんと、教えてくれると思います。

「電車が遅れたから、イライラしている」

「子供が片づけないから、イラーッとしている」

「店員がオーダーを聞き間違えて、頼んでいないものを持ってきたから」

「時間がないのに、ATMですごい行列になっているから」

「洗濯物をせっかく干したのに、雨に降られてびしょ濡れになっちゃったから」 

 

そうして、ひとつひとつ、丁寧に見ていきます。

「うんうん、電車は時間の狂いなく来なくちゃダメだ、と思っているわけね?」

「部屋はきれいでなくちゃ嫌だ、とかきれいであるべき、って思っているわけね?」

「聞き間違えをしたから、機嫌が悪くなっちゃったわけね?」

「自分に時間がない時に、待たないといけない状況だから、もーー!ってなったのね?」

「自分の都合の悪いタイミングで雨が降ったから怒っているのね?」

 

この作業をしていくと、

自分の心を客観的に見てみる、という体験ができます。

あー、私って、こんなふうに考えていたんだーと。

ぱーーんと突き放して、「自分」というものがどういうものの

考え方をしているのか、見えてきます。

 

何かが、誰かが、「自分のルール」を犯したから、

イラっと、「反応」したわけです。

 

つまり。

イラっと反応した時こそ、自分でも気づけていない「自分のルール」の

存在に気づくことのできるチャンス、ということです。

「個人的なこと」「自分だけのものさし」、の存在に、です。

 

私はこんなふうに、イライラを利用しました。

人に厳しい、完璧主義、とんでもないわたくし目線、自分の思い通りにしたい気持ち、

自分を変えるのではなくて、周りを変えたいと思う気持ち、

恐らく小さい時に親から禁止されたり、罰せられたこと、自分の容量以上のことを

やらないといけないんだ、と信じ切っていたこと、などなど。

恐ろしい自分がわんさか出てきました。

 

今でも、時々自分だけ会議、やっています。

心の中で。

あー待って待って、今、何でイラっとしているんだろう?と。

 

だいぶ掃除は終わってきた感じはしますが。

でも。

もともとの自分の心に戻る大切な作業です。

 

読んで下さってありがとうございます。