日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

過敏さ・繊細さを別の見方で

こんにちは。

年末、年明けの保育園の長い休みの後、

やっぱり私は発熱しました。

疲れ熱、と私は呼んでいます。


望んでいないけれど、ワンオペ育児の今。


5歳の娘と、歩き回りいたずらばかりの1歳半の娘、そして、犬との生活。


悪意のない、いたずらの数々。

片付ける側から、また新たに何かを散らかす1歳半の娘。

5歳の娘は特殊耳栓をしているようで、何回も同じことを言わないと指令が伝わりません。

時々、お願いー、みんなもうやめてー!と

不本意ながら泣いたりしています。


よくわからないけれど、でも、

世界は私に、これをひとりで何とか切り抜ける術を身に付けなさいと、

用意していることのようなので、

頭がもげそうになりながらも、なんとかやっています(でも本当に泣いています)。


回復した昨日は、レモンを買ってきて、

はちみつと共に、レモネードにしました。

からだの中に、まだ変なもわもわがある時や、風邪をひきそうな時、

私にはレモネードがよく効きます。

レモンの酸味で、毛穴からじわっと

汗みたいなのが出る感じがいいみたいです。


私は寝込めないのです。

うえーん。



さてさて。

昨日の夜、閃いたことを書いていきます。


過敏なこと、繊細なこと。

たくさんの人が気づかないようなことに気づくこと。


それって、ある一点から見たら、

不快なことがとっても多い、ということだと思います。


私も正直、幼い頃から不快なこと、嫌だ、と感じることが多かったです。


みんなが気にならないようなことに対して、嫌だなあと感じる。

熱さ(暑さ)や冷たさに、過敏に反応する。

音の強さに反応する。

匂い、もしくは臭いに反応する。

味、塩辛さに反応する。

食感の好き、嫌い。


快適、の、幅が異様に狭いのです。


これをまた別の地点から見た時。


自分が不快に感じることを、もしかしたら

周りにいる誰も、気づかないかもしれないし、

もしくは、誰かが気づくかもしれない。


まずは、この不快さをベースにして考えたら、

これってつまり、周りの人に

心配りができたり、優しい気持ちをかけられたり、そういうこと?と思いました。


(あ、私ちょっと暑いかも)

エアコンの温度をもう少し、下げようか?だったり、

(今日はいつもよりも寒く感じるなあ)

寒くない?何か持って来ようか?だったり、

(自分にはちょうどいいけれど)

お塩が足りなかったらお塩取ろうか?だったり。

(冷たい手で触られたら、私はびくっとしちゃうから)

手を温めてから、娘にクリームを塗ってあげよう、だったり。


ほんのちょっぴりのこと。


自分の過敏さ、繊細さをこういうふうに

周りの人への配慮として、

強みにして考えて行ったらいいんだなあ、と

思いました。

人に心配りができることや、優しい気持ちをかけられること。

誰かの不快さにも、自分と同じように理解を示せること。


これは、誰かが私にして下さったことにも応用できます。

今まで自分は他の人に対して、考えたこともなかったやり方だけど、

自分がされて

私、嬉しかった!ということ。

これはコピーして、自分のものにしちゃいます。

思いがけない気配り、配慮。優しい気持ち。

こうして、次は自分が誰かにそれをしてみます。

生きていて、それがどんどん増えていくというのは、とても素敵なことです。


読んでくださってありがとうございます。