日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

ある体験 の続き

こんばんは。

今日は子供たちと、素敵なお散歩をしました。

次女はだんだんと重くなり、抱っこひもでは自分がしんどくなってきました。

なので、ベビーカーに乗せて、長女と犬と私と、4人でお散歩しました。


まだ桜が半分ぐらい残っていました。

時々風がびゅうっと吹いて、ぴらぴらぴらっと、儚げに桜の花びらが散っていました。

季節外れの雪みたい。


ぴらぴらぴらーっと。


目を奪われてしまいます。


歳をとった犬に合わせて、そして、

ベビーカーがどしんどしんしないようにゆっくり。


でも、ゆっくりと歩くことは、とっても素敵です。


みんな、同じように、同じ時間を与えられていて、でも、それを

自分の意思でゆっくりと大切に使うのは、

とっても素敵です。


ああ、これだ。

心地いいのはこれだ、と感じながら歩きました。


この前の、ある体験、の続きです。


昨日の夜、無性に

瞑想したい!という気持ちになり、

気持ちのままに、瞑想をしていました。


暗い部屋で、目をつぶって。



しばらくしていると、

頭の上に白い光のようなものが見えてきました。

上へと繋がっていました。


そして、私の中に居たたくさんの女の人が、

ニコニコと微笑みながら、その光のエレベーターに乗って、上へと昇って行きました。


白いワンピースみたいなものを着た人とか。


ここにいる私には、つつっと、涙が出ていました。


たぶん、きっと。

私の中にいたたくさんの女の人の気持ちを、

昇華できて、

やっと、やっと、

みんな、安らいだ気持ちになれたんだなあ…と感じました。


とてもよかったです。

彼女たちが安らげて、本当によかったと思いました。


私の、心臓のあるところが、

すっと、軽くなっていました。


面白い体験です。


私はどこへ向かっているのでしょう…


読んでくださってありがとうございます。



ある体験

こんにちは。

今日は雨らしい雨ですね。

気温もがくんと下がっているので、

体調に気をつけて下さいませ。


さて。

さて…。


昨日は午後から、気もそぞろ、というか、

得体の知れないそわそわ感と、

時々心臓がドキドキしたり、

なんだかとっても不思議な感覚がしていました。


そして、夕方から、

からだがどっと疲れてきて(金曜日の夜?というぐらい)

そして、胸の奥、ではなくて

頭の中に、「私」のものではない

悲しみみたいなものが広がっていました。

(厳密に言うと、「私だけのものではない」悲しみ、ですね)


頭の中に、白い円盤みたいなものがあって、

その白い円盤は、悲しみでいっぱいでした。


ふーむ。

なんだろう。


例えば、私はまだ知らされていないけれど、

知っている誰かが亡くなっていた、とか、

知っているどなたかが

とても悲しい出来事に襲われているのかな?

とか、

そんなふうに、ぼんやりと感じていました。


夜になって。


たぶん、普通に生活していたと思います。

夜ごはんを用意して、子供たちと一緒に食べて。


でも、犬が床でうんちをし始めてしまって。


それがきっかけ?となって、

うわーーーっと、ものすごい悲しみが襲ってきました。


それは、今のこの「私」だけでない

もっともっと奥底からすごい勢いで滲み出てくる

悲しみと、怒りと、悔しさと、諦めと、絶望感と、屈辱感と、

とにかくそういった、重い負のエネルギーに満ちた感情が噴き出してきました。


ただただ、湧き上がる感情のままに、

激しく泣きました。

慟哭、というようなものだったかもしれません。


その時に感じていたのは、

本当に強い強い悲しみで、

目の前には、丁寧に「絶望」という文字まで見えました。

頭がぐらんとして、

こんなに悲しいのなら、死んでしまいたい、という

思いも感じました。


そして、その時見えていたのは。


今のこの「私」になる前の、

風貌や国籍、境遇、生まれた時代は違っているけれど、

ずっとずっと続いてきた、全部の「私」という魂が感じ取ってきた

悲しみと怒りと絶望でした。


断片的に、でしたが

いろいろな女の人が見えました。


その思いは、

そういう時代だから、とか、

女だから、とか、

風潮だから、とか、常識だから、とか、

世の中の価値観だから、とか

そういったものにカバーされて、

なかったことにしなければならなかった

悲しみや怒りや絶望感でした。


暴君な夫の言いなりにならなければいけなかった女の人の姿や、

その時の時代で?

頭がとても良くて聡明だったけれど、

女だからという理由で表に出られなかった悔しい気持ち、

そういったものが一気に噴き出してきました。


ただ、ただ、

私は、彼女たちの深い悲しみを

受け取って、昇華させる受け皿になったようでした。


魂のリレーは、わかっていました。

自分が、古い魂の持ち主なんだ、ということも、大人になってから、わかっていました。


ひとしきり、激しく泣いた後で。

魂のリレー。

知識や叡智だけでなく、

悲しみや、悔しさ、屈辱感、怒り、

大切に、ただ大切にされたかったのだ、という

女の人たちの強い悲しみ、

そういったものも、魂に刻まれて、

リレーになっているんだ、とよくわかりました。

女性であるだけで、自動的に

貶められていたこと。


寝る前に、自分の中に浮かんできた女の人たちのことを思いました。

みんな、みんな、みんなが悲しい辛い思いをしてくれて、

そうして、今のこの私があるんだ、と

思いました。

いろいろな時代を生きてきた女の人たち。


私は、彼女たちの辛く悲しい思いを知って、恐らく、それをひっくり返す役目があるのかもしれません。


よくわかりません。

この出どころは。

でも、ずっと虐げられてきた女の人の立場を

ひっくり返して、

今とは違って、女の人をもっと大切にする

世の中にしなくちゃ!と

なんだか感じています。


面白い、そして、興味深い体験でした。


読んでくださってありがとうございます。



越境されたことによる気づき

こんばんは。

どうしましょう。春まっさかりです!

嬉し過ぎます。

桜はお団子みたいにぼわんと、たっぷり咲いているし、それはもう

豊潤、と感じるぐらいにたっぷりです。


土曜日、日曜日と、保育園がお休みの

娘たちと、恐らく今週末が盛りであろう

桜をたっぷり見てきました。


本当に、ご褒美みたい。

目が奪われて、口が開いてしまいます。


時々風が吹くと、ぴらぴらぴらーっと

桜の花びらが散ります。

遠くから見ると、雪のようで、

でもちっとも寒くなくて、本当に

幸せな風景です。



さて。さて。さて。

今日は、お花見(5歳の娘は桜見と、言い間違えています)がてら、

意地悪な寒さもないし、やっと

大好きなピクニックをしに行きました。


コンビニでおにぎりと、お飲み物と、おやつをたくさん買って行きました。


さすがに、今週は天気も良かったし、

お花見の人たちが多かったですが、

うん!ここがいいね、という

木の下にシートを敷いてピクニックを始めました。


大人になると、

どうしてでしょう。

地面に座ったり、寝転んだり、

ただ、ベンチにぼーっと座ってみたり…

そういう機会がぐっと減ってしまいます。


でも。

シートを敷いて、ごろーんと地面に寝転ぶと。

本当に懐かしいような、嬉しいような、安心するような、とても幸せな温かな気持ちになれます。


あー、そうそう。

これこれ。

知っていたけど。随分と久しぶりな感じだわーという、安心感です。


私も、久しぶりに寝転んで、

すぐ目の前にあるクローバーを見つめたり、

触ってみたり、草のかぐわしい香りを

嗅いでみたり、満喫しました。


木の下で。

葉の間からは、ちらちらと太陽の光が射していて。

ああ。

なんていい気持ちなんだろう!と思いました。




そして、本題です。


越境されて気づいたこと。


久しぶりに越境されました。


お花見ピクニックも終盤。

シートを片付けていました。

1歳9ヶ月の娘をベンチに座らせて、

とんがりコーンを食べていてもらいました。


そこへ。

小学生の男の子とそのお父さんがやって来て、

娘の隣に座りました。


1歳9ヶ月の娘は、早速彼らに手を振ったりして、

挨拶をしていました。


そんな時。

男の子が、

「こんな赤ちゃんに何食わせてるんだよなー」といきなり言いました。


……。


え?(お母さんである)私に?言っているの?


隣にいた彼のお父さんは、たしなめることもなく、

彼と一緒にお飲み物を飲んでいました。




あーーーもわもわ。


もわもわ過ぎました。


えーっとえーっと。

整理しようか。


うちの子が、とんがりコーンを食べていることが、君に、一体、

何の影響があるの言うの?


それをいちいち、口に出して言うことで、

一体、誰に、そして何に対して紛糾しているの?


あーさっぱり意味わからねー


もしも。

もしも。

自分の娘が、よそ様のお父さんやお母さん、もしくは息子さん、娘さんに対して、

そのような発言をしたら、

私は、ばっしーーんと叱ると思いました。


第一、他人に対して、ああだこうだ発言すること自体、とても失礼ですし、

それは、十分に越境している行為なんだよ、と教えると思います。 


そんなこと、全く言う必要はないし、

他人に対して、あれこれ言っている暇があったら、

自分のことをまずちゃんとしなさい、と

教えるなあと思いました。


私は、黙って、とんがりコーン中の娘の横で、

シートを畳んで、帰る支度をしていました。


その親子は、

牛と馬はどっちが大きいか、について話し合っていましたが、

それより大事な話があるだろう?

もわもわしながら思いました。


嗚呼、越境。


私は、越境されると、瞬時に見えないワイヤー?がびーんと反応して

臨戦態勢に入ってしまいます。


勝手に頭の中でゴングが鳴ってしまいます。

カーン



でも。でも。

こういうことが私に起こった、ということは、

私はまだまだ無自覚に、

どなたかを越境してしまっている、ということなんだなあ、と思いました。


もっと、もっと、さらっと、付き合っていけばいいんだなあ、と再確認しました。


影響を与えたい、とか、

何かを教えてあげたい、とか。

多分、それってもう、違うんだなあ、と。


もっと、他人に対して、何の意図もなく、

普通に、私のそのままで生きていればいいんだなあ、と

再確認しました。


ごはんのお支度をしながら、そんなことを考えました。


読んでくださってありがとうございます。

4月

こんばんは。

今日は気温がかなり下がっていますね。

みなさん、ご自愛くださいませ。


さて。

世界は4月です。

桜もふわーんと咲いていて、空気もびゅうびゅうで、新しい風をとても感じます。


2人の娘たちは新しいクラスへと進級しました。

新しいお部屋、新しい担任の先生。


1歳9ヶ月の次女は、早速敏感な反応を見せています。


今までの見慣れた、使い慣れたお部屋から移動して。

この前までいた、担任の先生方は目の前にいません。


新しく入って来た赤ちゃん組の保護者の方々も頻繁に出入りしていて、

いつもとは違った保育園の雰囲気です。


今朝は、おくるみのガーゼを離してくれませんでした。

心のゆらゆらに立ち向かうには、今は、

この大きなおくるみガーゼが必要みたいです。


大人になると。

さあ、この4月の新しい波に立ち向かおう、と、

いつもよりも頑張ったり、自動的に気負ったり。

でも子供は敏感です。

変化は、やっぱり、変化です。


うんうん。慣れるから。

いつかはちゃんと慣れるから。

だから、それまでの

ゆらゆらの時は、ゆらゆらさせてー!と。


我慢するよりも、数倍いいです。

ちゃんと、ゆらゆらして、変化を乗り越えて、そして、また、今のこれが、

「いつも通り」になったらいいと思います。

ゆっくり、時間をかけて。


だから。

みなさんも、変化の時、存分にゆらゆらして、

自分に優しくして下さいね。


OK OK 毎日よく頑張ってるぜ!と。



そして。

可愛いお話をひとつ。


お散歩している時、チェダーチーズみたいな、

お菓子のチーズ味みたいな色の

お花が咲いていました。


その中に。

花粉に体じゅうまみれて、疲れてぐっすり眠っている蜂がいました。

粉だらけで。


ああ、もう、疲れちゃったから、ここで寝ちゃおう、と。


ああ、なんて可愛らしい!


春はとってもステキです。


読んでくださってありがとうございます。


潜在意識に沈んでいた傷

こんにちは。

今日は白く曇っていて、寒いくらいの気温です。

保育園では、来週から

2人の娘たちは進級して、新しいクラスになります。

卒園するお友達や、退園、異動する先生たちと、今日でお別れです。

桜はお団子みたいにふわっと綺麗ですが、

やっぱり全体の空気に、寂しさがあって、

意識がそこに触れてしまうと、わっと泣いてしまいます。


でも、いいのです。

お別れする寂しい気持ち、悲しい気持ちを全部感じ切って、そうして、

来週から始まる新しいピカピカのスタートへ

ぴりっと切り替えます。



さて。

さて。

前回、前々回と、両親や姉との出来事について書きました。


自分の中に聞いてみて。

自分の様子をじっと見つめて。


本当に、すっかり、忘れてしまっていたけれど、思い出したことがありました。

この20年ぐらい、本当に、忘れていたのです。


この前、両親、姉と会った時。

そこに漂う雰囲気、言葉にはしないけれど、

母と姉が裏で交わしたであろう、私に関してのやり取りのようなもの、

そういったものを、バーっと感じ取って、

自分でも驚くような反応をしました。

(ものすごく怒りました)


それから数日経って。

自分の中の気付いていなかった

油の染みのように、ぷわーんと、

ある思い、傷が浮かび上がってきました。


私が大学生になった頃、

姉は社会人となりました。

そして、母は変わらずフルタイムの正社員として働いていました。

その頃、父は単身赴任で一緒に住んでいませんでした。


母と姉は、外へ出て仕事する、という同じ立場、状況で、

ひとりのんびりと大学生をしていた私を

思い切り追い詰めて、孤立させていました。


私たちはこんなに大変な思いをして仕事に出かけていると言うのに、

アンタはいい御身分よね!

好き勝手やっているし!

私たちのペースを乱すようなことをするし!


と、まあ、このようなオーラをがんがんに出して、私と接していたのです。


彼女たちの妬みやら、自分たちの思い通りに私が動かないことへの勝手な恨みやら、

それはそれは恐ろしい雰囲気の漂う家でした。


もちろん。

そんな針のむしろのようなところに居たくありません。

私にとって、のんびりとくつろげる家、なんていうものではありませんでした。


なので、私は、なるべく家にいないように、

学校の後は、アルバイトばかりしていました。


(母の、うーん、言ってみれば、

囲い込み?のようなことは、

私が小さい頃からやられていたことでした。


私が何か、母の気に入らないことをすると、

姉と結託して?囲い込んで?私を孤立させます。

そして、精神的にじりじりと追い込んでくるのです。)


表面上は、「何も気にしていない」

「私、大丈夫」「全然平気だもん」として、

生活していましたが、

帯状疱疹になったり、頭は円形脱毛になったり、

本当は、メンタルは打撃を受けていたし、私の奥底は深く深く傷ついていたようです。


そんな恐ろしい生活が4、5年続きました。


週末だけ帰ってくる父は、結局1度も介入することなく、いわば、

見て見ぬ振りをする人なんだ、と私は認識していました。


娘(私)を理解しよう、ありのままを受け止めよう、という考えは、今も昔も

全くない人です。

むしろ、母の言いなりにさせたい、

自分の考えが1番正しい、自分の価値観が絶対、そこに歯向かう私は、

「変人」「頭がおかしい」「考え過ぎ」

「大袈裟に反応する」等々、

本当に小さい頃からそんな扱いをされていて、

私は、深く傷ついていたのです。


思えば。

小さい頃から、守ってもらえる人がいなくて。

いつも、いつも、ひとりぼっちでした。

いつも、孤独で、いつも、自分ひとりで

立ち向かわないといけませんでした。


それが、本当に辛かったです。



無自覚だったけれど、その傷を、この前、母と姉がさっとかすってきたので、私は火がついたように怒り出してしまったのです。


それが、ぷわーんと、

布地の奥底に染み込んでいた頑固な油汚れのように、浮かび上がってきました。


その傷を、私に確認させるために、

起こった出来事だったのです。


そうか…深く、深く、私は傷ついていたんだな、と再確認しました。

我慢し過ぎて、潜在に深く沈んでしまっていた傷でした。


でも、これはいい兆候です。

顕在意識と潜在意識の垣根が低くなっていて、ネジがぐらぐらになってきています。


深く沈み込んでしまって、日常では

意識にさえ上がっていなかったこと。

これが、ぷわーん、ぷわーんと、浮かび上がってくるというのは、

自分をどんどん癒せる、ということです。


世界は優しいので、一気には来ません。

順番、順番にやって来ます。

そうして、ひとつひとつ、丁寧に癒していきます。

自分のありのままに戻るために。


はー…それにしても。

何てタフな設定をしてきたんだろう、私の魂は!と思います。


悲しい思いをたくさんしている人は、

人に、優しくなれます。

これが、目的なのかしら。


読んでくださってありがとうございます。


新しく何かをスタートしようとする時

こんにちは。

今朝はゆるゆると穏やかな太陽の光を浴びながら、犬のお散歩をしました。


はぁ…桜が咲き始めて、

ただただ、儚さと美しさにため息が出ます。


桜の花のところだけ、

ふわっとした白い優しい光が見えます。


電気関係(電柱?)の人やら、

市の道路管理課?の人やらが、

時々、

長くなった木の枝を容赦なくじょきじょきと

切ってしまいます。


でも。

春になると、バッサリ切られたところからも

若芽がちゃんと生えてきて、


「あーうん。君たちの言いたいことはわかるけど、でも、ごめんねー」と、


しっかり花まで咲かせたりしていて、

その樹木の人間を上回る力強さに

むふふ!となったりします。


さてさてさて。


気付けば3月も終わりなんですね。

毎日、モグラの穴堀みたいに、目の前のことだけを見て生活しているので、

カレンダー全体なんて見ていませんでした。

大変、来週から、4月?


今までいたところから、ええい、と

心が決まって、やっと気持ちが定まって、

新しいところへ行ったり、

新しい事柄を始めたりする人も多いのかもしれません。


(5歳の娘の担任の先生も、保育園をお辞めになって、一度立ち止まることにしたようです)


今までのところから自分の意思で出ようとする時。


「出よう」、と決めるまで、

自分の気持ちをなだめたり、もう少しだけやってみよう、と踏ん張ってみたり、

悩んだり…

少なからず、葛藤の時期があると思います。


でも、自問自答を繰り返して、

最終的に、「ここから出よう」だったり、

「新しいことをやってみよう」だったり、

「ちょっと、1度ちゃんと立ち止まって考えたい」だったり、

「心の言う通りに生きよう」だったり、

結論を出すと思います。


そして、勇気を出して、その決意を表明した時。


すごーく嫌な反対勢力が現れます。

たぶん、だいたいにおいて。


頭がもげるぐらい、本当に真剣に真剣に考えて、そうして

そこから出よう!と決めたのに、


そこに留まれー留まれーと

「説得」なんてしてくる人もいますし、


「今あなたがいなくなったら本当に(ここは)大変なのよ」と

泣き落とし作戦を仕掛けてくる人もいますし、


「っふん!出て行く奴は村八分にしてやる」とものすごく嫌なオーラを出したり、

嫌味を言ったりして、精神的に追い詰めてくる人もいます。


もっとひどい場合は

脅してくる、なんていうのもあります。


私も、若い時に見事にやられました。

大学を卒業して、就職しました。

でも、2年弱で、ぱあーっと全体像が見えてしまって、

ここにいても、私の望む姿にはなれない、と

結論を出して、

辞める意思を伝えました。


辞めるということを社長に伝えて、それが

一緒に仕事をしている人たちにも伝わり…


私の場合は、強烈な村八分でした。

雰囲気が突然、強烈にこわばりました。

みんなに伝わってから、実際に退職の日を迎えるまで、

締め付けられるような居心地の悪さを

感じながら最後の仕事をしていました。


「辞めたい」と思った私がいけないんだ…と思ってしまうぐらい。

のどにお饅頭を詰められたように

残った日々は苦しかったです。


他にも。

泣き落とし大作戦をされたこともありましたし、

裁判で訴えるからな!なんて脅されたこともありました。




あれからもう月日が経ちました。


今、思うことは。



勇気を出して、今までいたところから抜け出して、新しいことに挑戦しよう、と

している人に

なぜ、


「応援しているよ!」とか

「大変だと思うけど、でも、君ならやれるよ!」とか


前向きな、背中を押してあげるような言葉を掛けてあげられないのだろう…ということです。


彼らは、その人の意思を尊重する、のではなくて、自分たちの都合や考えの方を重視しているだけだと思います。



今、まさに、私も

この意味不明な結婚から抜け出そうとしています。

その意思を両親、姉に伝えた時。


「これから大変なこともあるだろうけど、

でも、できるだけの協力はするからね。

無理しないで、でも、がんばって!」

というような応援メッセージは全くなく、


抜け出そうとしているお前がいけないんだ、もっと(ここで)努力しろ、耐えろ、的なことを言われました。


はーん。

ふーむ…。


どっちが、本当に真面目に考えて生きていると思う?

どっちが、自分の人生に責任を持って生きようとしていると思う?

どっちが、自分を幸せにすることに対して、真摯だと思う?


と、私は思っているので、

はー出たー!この反対勢力!

でも今回はもう私、負けませんので、

よろしくーぐらいに感じています。


そうそう、あのジョッキリ切られた木みたいに。

あーごめんねー、でも私、自分の人生を生きたいので!


自分の幸せに、こんなに真剣になっているのに、なぜ、私は

頭のおかしな痛い子的扱いを受けなくてはいけないのか、

本当にわかりません。


新しいことを始めようとする方々。

反対勢力に負けないで下さい。

自分の心に正直に従っている方を

世界は応援してくれます。


読んでくださってありがとうございます。

再確認したこと

こんにちは。

よく晴れています。

窓越しにぴかぴかと太陽の光が射していて、

そしていつものように、

ここは静か過ぎるぐらい静かで、

時々風がふわーーんと吹いてきて、

カーテンを緩く揺らして、

なんとも平和な場所です。


再確認したこと。


わかっていました。

ずっと。

知っていました。


血の繋がりがあるから、

せめて、親ぐらいは、とか、

姉ぐらいは、

私の気持ちをわかってくれないかなあ、と

淡い淡い期待をまだ、私は持っていたようです(昨日まで)。


でも。

昨日、両親、そして姉と会う機会があって。

やっぱり、彼らの反応は、

いつもと同じ。

何十年と、変わらないんだ、ということを再確認しました。



もうずっと前から知っていました。

私が子供の頃から、小さい頃から、

彼らに気持ちは全然わかってもらえないこと。

私が感じていること、これは傷つくなあ、とか、

これは嫌だなあ、とか、これはひどい!とか、

そういった気持ちや感覚。


そして、私がどうしたってブレようがない

強い信念を持っていること。

その信念に従って生きて来ていること。


残念だけど、きっと、彼らには

見えないんだなあ、と思います。

見えないし、感じないし、わからない。


だから、寄り添うことができずに、

訳わからないものへの恐怖心みたいな気持ちから、

「頭のおかしい変な子」

「常識外れな子」

「考え過ぎで、おかしくなっている子」

「相変わらずこの世の中をよくわかっていない子」

的にカテゴライズされて、私と接していること。

昨日、よーくわかりました。


なんて失礼な。


HSPとか、エンパスとか、

人の気持ちが自動的にわかってしまうから、

優しい言葉をかけてあげられたり、

気持ちを汲んであげられたり、

ぴたっと、その人に一番最適な対応をしてあげられる気がします。


でも。

HSPやエンパス自身は、いつだって、

きっと孤独です。


「考え過ぎだね」とか

「細かくて面倒臭い奴」とか

「くよくよし過ぎ」とか、

周りが私たちをわからない故、

どう対応していいのかわからない故、

ひどく傷つく対応をされることが多い気がします。


そして、これまでの人生で、傷つく対応ばかりされ続けているので、

「あ…自分がいけないんだ…」

と自分で自分を否定しないと生きていけないようになっている気がします。


なんて悲しい。

本当に悲しいです。


昨日の出来事で。

そうだった、そうだった。

ずっとずっと前から、彼らは私をわかれないから、彼らには想像もできないような痛みを与える言葉で、私を傷つけてきた人たちだったんだ、と思い出しました。


もう、ぐさっと来ませんでした。


あー…そうだった…

あーふーん…

…知っていたわ、…そうだったわ、

ずっと前から、そうそう。こうだったわ、と

遠くからぼんやりと、再確認しただけでした。


分かり合える人と分かり合えばいいや、と思います。

親だからわかってー!とか、もうそんなのは

数年前に消え去りました。

例え親であっても、例え血の繋がりはあっても、

分かり合えなくて、一方的に

私を変なもの扱いをしてくる人たち。


私が貴方たちに何をしたの?と

思います。

どれだけ私は貴方たちにひどいことをしたというの?と思います。


もう、いいやーー!

と思いました。

面倒臭い。

そんな輩に付き合っている暇はないのです。


自分の身は自分で守らなくては。

自分に一番に優しくしなくちゃ。

そして、私を傷つける人からはどんどん

距離を置いています。


自分の人生に集中して、自分をいかに

幸せにできるか、を考えます。


そっちの方がよっぽど生産的だし!


どんどんと自由になって行きます。


読んでくださってありがとうございます。