日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

ある体験

こんにちは。

今日は雨らしい雨ですね。

気温もがくんと下がっているので、

体調に気をつけて下さいませ。


さて。

さて…。


昨日は午後から、気もそぞろ、というか、

得体の知れないそわそわ感と、

時々心臓がドキドキしたり、

なんだかとっても不思議な感覚がしていました。


そして、夕方から、

からだがどっと疲れてきて(金曜日の夜?というぐらい)

そして、胸の奥、ではなくて

頭の中に、「私」のものではない

悲しみみたいなものが広がっていました。

(厳密に言うと、「私だけのものではない」悲しみ、ですね)


頭の中に、白い円盤みたいなものがあって、

その白い円盤は、悲しみでいっぱいでした。


ふーむ。

なんだろう。


例えば、私はまだ知らされていないけれど、

知っている誰かが亡くなっていた、とか、

知っているどなたかが

とても悲しい出来事に襲われているのかな?

とか、

そんなふうに、ぼんやりと感じていました。


夜になって。


たぶん、普通に生活していたと思います。

夜ごはんを用意して、子供たちと一緒に食べて。


でも、犬が床でうんちをし始めてしまって。


それがきっかけ?となって、

うわーーーっと、ものすごい悲しみが襲ってきました。


それは、今のこの「私」だけでない

もっともっと奥底からすごい勢いで滲み出てくる

悲しみと、怒りと、悔しさと、諦めと、絶望感と、屈辱感と、

とにかくそういった、重い負のエネルギーに満ちた感情が噴き出してきました。


ただただ、湧き上がる感情のままに、

激しく泣きました。

慟哭、というようなものだったかもしれません。


その時に感じていたのは、

本当に強い強い悲しみで、

目の前には、丁寧に「絶望」という文字まで見えました。

頭がぐらんとして、

こんなに悲しいのなら、死んでしまいたい、という

思いも感じました。


そして、その時見えていたのは。


今のこの「私」になる前の、

風貌や国籍、境遇、生まれた時代は違っているけれど、

ずっとずっと続いてきた、全部の「私」という魂が感じ取ってきた

悲しみと怒りと絶望でした。


断片的に、でしたが

いろいろな女の人が見えました。


その思いは、

そういう時代だから、とか、

女だから、とか、

風潮だから、とか、常識だから、とか、

世の中の価値観だから、とか

そういったものにカバーされて、

なかったことにしなければならなかった

悲しみや怒りや絶望感でした。


暴君な夫の言いなりにならなければいけなかった女の人の姿や、

その時の時代で?

頭がとても良くて聡明だったけれど、

女だからという理由で表に出られなかった悔しい気持ち、

そういったものが一気に噴き出してきました。


ただ、ただ、

私は、彼女たちの深い悲しみを

受け取って、昇華させる受け皿になったようでした。


魂のリレーは、わかっていました。

自分が、古い魂の持ち主なんだ、ということも、大人になってから、わかっていました。


ひとしきり、激しく泣いた後で。

魂のリレー。

知識や叡智だけでなく、

悲しみや、悔しさ、屈辱感、怒り、

大切に、ただ大切にされたかったのだ、という

女の人たちの強い悲しみ、

そういったものも、魂に刻まれて、

リレーになっているんだ、とよくわかりました。

女性であるだけで、自動的に

貶められていたこと。


寝る前に、自分の中に浮かんできた女の人たちのことを思いました。

みんな、みんな、みんなが悲しい辛い思いをしてくれて、

そうして、今のこの私があるんだ、と

思いました。

いろいろな時代を生きてきた女の人たち。


私は、彼女たちの辛く悲しい思いを知って、恐らく、それをひっくり返す役目があるのかもしれません。


よくわかりません。

この出どころは。

でも、ずっと虐げられてきた女の人の立場を

ひっくり返して、

今とは違って、女の人をもっと大切にする

世の中にしなくちゃ!と

なんだか感じています。


面白い、そして、興味深い体験でした。


読んでくださってありがとうございます。