日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

やっとわかったこと

こんばんは。

そして。

ハッピーメリークリスマス!

日本は24日の方が、なんとなく華やいで盛り上がっている気がしますね。

ちょうどお休みでしたし。


でも、この軽くて、キラキラした雰囲気が全体に漂っていて、

みんな、いつもありがとうー!

みんなが元気でいてくれて嬉しいよ!と

素直に言えてしまう不思議な時、嫌いじゃありません。


明日からは、いきなりぴりっと、全速力で外は年末に向かっていくのかしら?

私は少し遠くから眺めています。


クリスマス後から年末にかけて、突然また

スピードを増して、そして、雰囲気は

華やいだものから、少し粛々としたものへと

一変する様子。

おもしろいなあ、と毎年眺めています。


さて、さて。

本題へ。


やっとわかったこと。


子供の頃からの、違和感。

なんだか自分だけ混じっていない感じ。

浮いている感じ。


そこを苦しく思う時代もありました。


周りに(不本意だけど、やっぱり)合わせなくちゃいけないの?

なんででも、自分だけこうなの?

と、完全にひとりぼっちな感じ。

理解してくれる人がいない感じ。


この生まれながらの違和感の正体が、やっとわかりました。


語弊を恐れずに言うと、

この違和感の名前は、魂の学んできた量の違い、です。

波動の違い、と言ってもいいのかもしれません。


子供の頃から、中身は既に老齢の何かだった、というか。

周りで遊んでいる同い年の子供達を見て、幼いなあ、と感じていたり、

それはやっちゃダメだろう!と少し遠くから観察していたり。

自分の母の行動を見て、んんん?おやおや?と思っていたり。


外見だけをとらえたら、親と子供です。

だから、親は、年上だから、という理由で、

こうしなさい、ああしなさい、といろいろと言ってきました。

でも、中身が母よりも老齢の私は、

少し冷めた目を既に持っていて。

だから、んんん?おやおや?だったわけです。


つまり、大きいから、小さいから、

年が上だから、年が下だから、

大人だから、子供だから、というのは、

全く関係ないのです。


外側(肉体)云々ではなくて、それよりも

中身の魂の年輪みたいなもの。


年輪が大きいと、それだけ見知っていることも多くて、いいことも嫌なこともたくさん経験してきて、痛みとして学んできたこともたくさんあって。


これが、周りの人たちと全然合っていなくて、それを違和感、溶け込めていない感じ、として、

くっきりと子供の頃から感じられていたんだなあと、

今、わかります。


これがはっきりと自分でわかってからは、大分、上手に自分の中で区切りというか、

境界線を引くことができるようになりました。

あ、まだまだこの方は学びの途中だから、わからない感覚なんだなあ、とか。


(上から目線みたいで本当に、難しいです、これを表現するのは)


きっと。

私たち人間のいる世界には、いくつもの層があって、

何かを経験したり、誰かを傷つけたり、そして、そこで何かを学んで同じことを繰り返さないようにして…そうすると、少しずつレベルアップして行く、というか。


年輪が、少しずつ増えて大きくなっていく、というか。


これを、何回も何回も生まれ変わって、そうして、少しずつ、大切なことを学び集めていく、という作業が、生きることなんだ、と今、感じています。


だから。

生きづらいなあ、とか、奥底で違和感をずっと感じてきた方、

それは、魂の年輪が、周りの人たちと合っていない、ということなんだと思います。


そして、大切なのは。

迎合すること(下のものに合わせるという意味合いで)ではなくて、

ある意味吹っ切れて、毅然と前を見続けることなのかな、と思います。

これまでの魂の学びを無駄にしたらダメです。


だって。

「わたし」「あなた」になる前の、何人?何十人?もの人たちが人生をかけて学び取ってきたことが、今の「わたし」であり、「あなた」なのです。


これきりで終わり、じゃなくて、

魂のリレーをずっと、私たちはしているのです。


だから、周りにわざわざ合わせなくていいのです。

わざわざ、下に降りて行かなくて、いいのです。

私の素で、あなたの素で、いられる人たちといればいいのです。


読んでくださってありがとうございます。