日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

本当に身近なことから

こんにちは。

空は白くて、静かな午後です。


近くには小学校もあるし、いわゆる

住宅地だというのに、ここはとっても静かです(スラム街?というくらいに)


静かなことはとても贅沢です。


電車や車の走る音、誰かの話し声、クラクションやらサイレンやら、

音は聴こうと思えばいくらでも聴くことができます。


でも、なーんにも音がしない場所って、

実は本当に得難くて、

偶然にもこの家を選んだけれど、

なんと幸運なことよ!と思います。



ずっと。ずっと。

繰り返しサインが届いています。


使命を果たして下さい!と。


でもごめんなさい。私はまだはっきりと

これが自分の使命だ!と自覚できていません。


でも繰り返し、繰り返し、サインが来ます。


とても重要で、皆が待っている大切な使命だから、すぐにでもそれに取り掛かってください、と。


あーうー。



いろいろなことが、頭の中に浮かびます。


環境のことや、飢餓のこと。

きれいな水が飲めない地域がまだあること、

戦争で傷ついている人たちがいること。

勉強できない環境で、勉強したいという意欲のある子供たちがいること、

虐待を受けている子供たちがいること。

子供の頃から仕事をしないと生活できない人たちがいること。

医療が不安定で小さい頃に死んでしまう子供たちがいること。

虐待されて傷ついた動物がいること。

密猟などで、酷い死に方をしている悲しい動物がいること。




何かをしたい!という気持ちが強くあります。

でも、私の頭の中に浮かぶ数々の問題と

自分を上手に繋げられなくて。

それでも、じゃんじゃんとサインはやって来るので、

焦りみたいな気持ちで泣き出してしまったこともあります。


私には一体何ができるんだろう?


環境、そしてもちろん私たちの肌にも優しい石鹸やシャンプーを使うこと。

環境に負担がかかりにくい洗剤を選ぶこと。

電気や水道のありがたさを自分の子供たちに教えること。

ゴミは必ずゴミ箱に捨てるか、家に持ち帰ること。

紙ゴミとプラスチックゴミの分別を教えたり、実践すること。

牛乳パックの再利用に協力すること。

(抵抗がなければ、ティッシュやトイレットペーパーは再生紙で作られたものを使うこと)

飼っている動物は責任と愛を持って、最後まで飼うこと。

食べ物のロスを減らすように気をつけること。

使えるお洋服やおもちゃなどは、譲るか寄付すること。

歩いたり、自転車に乗ること。

利益重視で誰にも、どこにも優しくない会社の商品は選ばないようにすること。

(反対に、エコ活動などを行なっている企業、会社の商品を、賛同!の意味で選ぶこと)

コンビニでお釣りをもらったら、そのまま募金箱に入れてみること。


などなど。

今思いついたことを書いてみました。


頭の中で紛争地域を憂いているよりも、

まずは自分の身近なところから始めて、続けていきます。


読んでくださってありがとうございます。


神様のノート

こんばんは。

3連休が終わりましたね。

また日常が戻ってきました。


昨日の夜、5歳の娘と話していたことです。


神様は、みんなのノートを持っていて、

いいことをしたら○を、

そして、悪いことをしたら、残念!って×をそのノートにつけているんだよ、と。


おやつはこれだけにしようね、って

ママとお約束して、でもこっそり隠れて(娘が)まだ何か食べちゃったとして。

もしもママには気づかれなくても、

でも神様は上から全部見ていて、

あー、ママとお約束したのに、嘘ついちゃったね、

では、残念!×って、そのノートに書かれちゃうんだよ、と。


ゴミを道にぽいっと捨てても、

あー残念!×ってついちゃうし。


だからね、誰かが見ているからー、とかそういうのは関係なくて、

やったらダメだよなあっていうことをしないように、いつも

気をつけていないと、

神様は上から全部見ているんだよ、と。


でもね、たとえ×がつくことをしちゃっても、

ちゃんと悪かったなあ、もうしないよ、って

心に決めたら、その心を神様は許してくれるし、

代わりにいいことを2つしたら、

×は消してくれるんだよ、と。


娘はそうだよねーと、納得のようでした。


自分の中に揺るぎない決意やら方向性が見えていても、すぐには

現実の変化がもちろんなくて、

不安になってしまったり、

腐りそうになったりします。


でもそんな時こそ。

この神様のノートのお話を思い出して、

ぶれない自分でいよう、と

思いました。


透知。クレアコグニザンス。

なんだか、消えてしまいそうな光で、

でも、それを、頼りに私は少しずつでも

前に進んでいけたらと思います。



読んでくださってありがとうございます。



エナジーバンパイアの件

こんばんは。

昨日とうって変わって、とても寒い1日となりました。

今日の夜は温かいポテトグラタンとミネストローネを作っています。


エナジーバンパイア。


恐ろしや。

私は、ある方のブログに行き当たって、

自分がエネルギーを奪い続けられていたことに気がつきました。


私のエネルギーを奪っていたのは私の結婚相手です。


彼は遠く離れた目線で観察してみると。

まるで…自作自演の人です。


でもきっと本人は気づいていません。


自分の本心を見つめることを恐れ、何かあると、内省する代わりに、周りに非があると考える人です。


そして、表面的なものをとても大事にしています。


肩書きとか、持っているものとか。

どう、見られるか、とか。


そして、自分で自分がやれる範囲のことを超えて、物事を広げ、あたふたしている自分ってどれだけ大変?可哀想だよね俺、ゴホゴホ、具合も悪いんだよ、とやっています。


おつかれさまです。





そんな彼を、「私」ではなく、ずっと「私たち」として、一緒になって考えていました。

(私の勝手な、運命の人!という思い込みと、多分、結婚しているから、という理由で)


彼が仕事で行き詰まっている時は、こうしたらいいんじゃない?と一緒になって考え、

彼はとっても大変なんだから、私「も」、共に頑張ろう、と。


でも、なんだかおかしいのです。


こちらが一生懸命に、彼の仕事のことをへとへとになるまで考えても、彼は、結構あっけらかーんとしていました。

そして、いつも、こちらの見えていることなど忖度せず

(勝手だけれど)私が助言したことなど

まるでなかったかのように、彼独自の考えで、相変わらず、その行き詰まっている物事を展開させているのです。


途中からわかりました。


あーあーあー…


この人って、自作自演の人だ、と。


こうやって、私の注意を引いたり、一緒に考えさせたりして、実は、

私のエネルギーを奪って生きているだけなんだ、と。


(何ですかこれ?)

(貴方にとって、これって楽しいの?おもしろい?)


こういう人がいるんだ、と私は内心びっくりしました。


でも、この

エナジーバンパイアという存在を教えてくださった方のブログのお陰で、

私はやっと、正常な自分のラインに戻れるようになった気がします。


私は、思い込みが激し過ぎました。

彼は自分が結婚した人だし、

運命の相手なんだ、と。

私の助けが必要な人なんだ、と。


いやいや、でも。

エネルギーを奪われて、いつもなんだかぐったりで、彼方面のことを考えると、本当に自分の中がカラカラになった感じがして。


なんだか、その彼の訳のわからないからくりを、自分の与えられた洞察力でひっくり返してからは、

とっても楽に、そして、軽くなりました。


彼にはありがとう、とは思いますが、

彼の作った劇にもう付き合うことはできません。


きっと、私にはこれも必要なものだったのです。


今は自分の本来のラインに立ち返って、

軌道修正の日々です。


自分は自分で温めなくては!

そして、自分の大切なエネルギーは、

自分の幸せのために使わなくては!


心優しいみなさんも、どうかお気をつけ下さい、エナジーバンパイア。


読んでくださってありがとうございます。




静謐

こんばんは。


夕方、子供たちを保育園へお迎えに行く頃、空はまるで虹の中にすっぽり入っているかのような、とても美しいグラデーションです。

下の方は桃色。そして、少し上はあんずの色。そして、たまごのような優しい黄色味があって、うっすらと黄緑。

そして淡い水色。その上にはそれよりも少し濃い青が来ます。


そしてそして、更に上を見上げると

歯で齧ったらぱりんと儚げに割れてしまいそうな月が見えます(今は)。


ああ、なんて美しい!


ほんのわずかな時間ですが世界にうっとりします。



今日は意地悪な冷たい風が吹いていなかったので、

突然思い立って、明治神宮へ行きました。

遅ればせながらの初詣です。


明治神宮は20年ぶりぐらい。


敷地内に入ると、早速空気が軽くて、

いくら吸い込んでも気持ちのいい空気で、

それはそれは

静謐な雰囲気でした。


たくさんの、あまり手をつけられていない

緑や木々を、見ながら歩きました。


時々、木漏れ日、と言うか、

葉の間から、きらきらとした太陽の光が射していました。

そして、日の当たる地面からは、もわんと、雨上がりのように

白く立ち上る、薄い霧のようなものが見えていました。


とても静かな風景でした。


人よりも自然の方が力強い場所です。


頭の中が、どうしようもなくぐるぐるに

なってしまったら、

ここへ来たらいいんだなあ、と思いました。


静かなものを取り戻せます。


お近くの方はぜひ!


読んでくださってありがとうございます。



過敏さ・繊細さを別の見方で

こんにちは。

年末、年明けの保育園の長い休みの後、

やっぱり私は発熱しました。

疲れ熱、と私は呼んでいます。


望んでいないけれど、ワンオペ育児の今。


5歳の娘と、歩き回りいたずらばかりの1歳半の娘、そして、犬との生活。


悪意のない、いたずらの数々。

片付ける側から、また新たに何かを散らかす1歳半の娘。

5歳の娘は特殊耳栓をしているようで、何回も同じことを言わないと指令が伝わりません。

時々、お願いー、みんなもうやめてー!と

不本意ながら泣いたりしています。


よくわからないけれど、でも、

世界は私に、これをひとりで何とか切り抜ける術を身に付けなさいと、

用意していることのようなので、

頭がもげそうになりながらも、なんとかやっています(でも本当に泣いています)。


回復した昨日は、レモンを買ってきて、

はちみつと共に、レモネードにしました。

からだの中に、まだ変なもわもわがある時や、風邪をひきそうな時、

私にはレモネードがよく効きます。

レモンの酸味で、毛穴からじわっと

汗みたいなのが出る感じがいいみたいです。


私は寝込めないのです。

うえーん。



さてさて。

昨日の夜、閃いたことを書いていきます。


過敏なこと、繊細なこと。

たくさんの人が気づかないようなことに気づくこと。


それって、ある一点から見たら、

不快なことがとっても多い、ということだと思います。


私も正直、幼い頃から不快なこと、嫌だ、と感じることが多かったです。


みんなが気にならないようなことに対して、嫌だなあと感じる。

熱さ(暑さ)や冷たさに、過敏に反応する。

音の強さに反応する。

匂い、もしくは臭いに反応する。

味、塩辛さに反応する。

食感の好き、嫌い。


快適、の、幅が異様に狭いのです。


これをまた別の地点から見た時。


自分が不快に感じることを、もしかしたら

周りにいる誰も、気づかないかもしれないし、

もしくは、誰かが気づくかもしれない。


まずは、この不快さをベースにして考えたら、

これってつまり、周りの人に

心配りができたり、優しい気持ちをかけられたり、そういうこと?と思いました。


(あ、私ちょっと暑いかも)

エアコンの温度をもう少し、下げようか?だったり、

(今日はいつもよりも寒く感じるなあ)

寒くない?何か持って来ようか?だったり、

(自分にはちょうどいいけれど)

お塩が足りなかったらお塩取ろうか?だったり。

(冷たい手で触られたら、私はびくっとしちゃうから)

手を温めてから、娘にクリームを塗ってあげよう、だったり。


ほんのちょっぴりのこと。


自分の過敏さ、繊細さをこういうふうに

周りの人への配慮として、

強みにして考えて行ったらいいんだなあ、と

思いました。

人に心配りができることや、優しい気持ちをかけられること。

誰かの不快さにも、自分と同じように理解を示せること。


これは、誰かが私にして下さったことにも応用できます。

今まで自分は他の人に対して、考えたこともなかったやり方だけど、

自分がされて

私、嬉しかった!ということ。

これはコピーして、自分のものにしちゃいます。

思いがけない気配り、配慮。優しい気持ち。

こうして、次は自分が誰かにそれをしてみます。

生きていて、それがどんどん増えていくというのは、とても素敵なことです。


読んでくださってありがとうございます。


パラレルワールド

こんばんは。

今日は日食!と期待していましたが、あいにくの曇天。

しかも、空気は冷たく、冬らしい1日でした。


遅れましたが、みなさん

あけましておめでとうございます。


今年もぼそぼそと、

気付いたことや閃いたことを書いていけたらなあ、と思います。


読んでくださるみなさん、いつもありがとうございます。


さっそく。

夕方に子供たちをお風呂に入れた時に

閃いたことです。


気付いている方、気付いていない方、いらっしゃると思いますが、

この世界はパラレルワールドです。


私の奥底も、私にその映像を見せてくれたので、私はそう信じています。


パラレルワールド

この瞬間にも、幾重にも、たくさんの世界が同時に展開している、ということ。


そして、これも私の奥底が教えてくれたことですが、

すべては、選択の連続です。


つまり。

つまり。


この瞬間、この瞬間で、

何を選択するかによって、この瞬間以降の、未来が、どうなるかが、あみだくじみたいに

変わってくる、ということです。


つまり。

つまり。


もう一度書きますが、すべては、

「私」そして「あなた」の選択によって

展開されて行く世界が広がっている、ということです。


何を選ぶか、どういう気持ちで選ぶか、

ネガティブなものを基として選ぶか、

ポジティブなものを基として選ぶか、によって、

それから先のことがどんどんと変わってくる世界にいる、ということです。


よく、思考が現実となる、と言いますが、

つまりは、こういうことなんだと思います。


自分がどこを目指すか、どういう世界に生きたいか、によって、

今、目の前にある選択も、

これまで通りのやり方を展開させる世界へと続く道、

もしくは、少しだけ何かを変えて、

その目指す何かへと繋がって行く世界へ続く道と、

もう枝分かれしている、ということです。


恐れや恐怖心、不安を基に選択をしていたら、

そっくりそのまま、そういう世界が展開されて行く、ということです。


保険、とか、インフルエンザワクチン、とか…。


よく、できていますね。

足元をすっかり見られていますよね。


自分の思考の方向性を大切に、

毎日を過ごして行きたいと思います。


読んでくださってありがとうございます。

この数日

こんにちは。

外はきれいに晴れていて、空気はぴりっと

冷たくて、

そして、なんとなく慌ただしい雰囲気と、もう少しでこの1年が終わる、という

少し粛々とした雰囲気。


なぜだか、目をつぶると。

冷たい水と魚市場でお魚の競りをしている

人たちが浮かびます。

私にとって、年末はそういうイメージなのでしょうか。



クリスマスを過ぎた頃から、

自分の中が少し落ち気味な感じがしています。

きっと、クリスマスまでは、

子供たちに何を贈ろうかな、やら

お世話になったあの方に、何か気持ちを贈りたいなあ、やら

そういったことに気持ちが向いていましたが。


それらが終わって。


自分を取り巻く何もかもがうまく行かないわ!という最悪な状態ではありません。

イライラして、周りに八つ当たりしたり、突然泣き出したり、そういったことはありません。


ただ。

どこか突き抜けていない感じがしていて、

いつもよりも少し下の方をさまよっているみたいな気持ちがしています。


もちろん、そんな状態は楽しくありません。

むしろ、ちょっと苦しいです。


でも、年末というのは、どうやら、

メンタルにそういった影響を及ぼす時でも

あるようです。

何かが終わる、ということは、

隠れていた感情や、かすかに残る悲しみやら不安やら、そういうネガティブな気持ちも、

一緒になって湧き出る時期なようです。


だから、そういう時なんだなあ、と

そこに巻き込まれないように、

少し遠くから、自分を眺めたいと思います。


この1年は、いろいろな気持ちがありました(毎年のことですが)。


なんとなく、薄ぼんやりとわかることは、

自分の方向性を自分で掴んで決めることができた1年になった、と感じます。


何が必要で、何が要らないのか。

自分の心に従って、見極めること。

必要なものを得るために、今ある要らないものと、

どう距離感を取っていくか。


少しずつ、少しずつですが、

純度が上がってきている感じがします。


そうして、新たに来る2019年。

そこへ向けての準備、調整の日々を過ごしてきたのかなと、ぼんやりと感じます。


来年は一体、何が待っていて、どんな

日々を過ごすのでしょうか。

少しワクワクしています。


読んでくださってありがとうございます。

慌ただしい時期ですが、

自分に優しく、そして

よいお年をお迎えください。