日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

母のこと

こんにちは。

朝、子供たちを保育園へ送った時は、すごい風と多少の雨でしたが、

みるみる天気が回復してきました。

大きな被害なく、この台風が海へ抜けてくれたらいいですが。

 

今日は母のお話です。

私にとって、母はとても難しい人です。

これまで会って来た人の中で、多分、1位で、難しい人です。

友人とか、知り合い、とかだったら、

会わないようにする、とか、連絡を絶つという方法も取れますが、

母です。身内なので、絶縁もなかなか難しいし、

ちょっと、悲しい気持ちもします。

 

以前の私は、母とものすごく衝突していました。

 

普段、私は穏やかです。

 

でも、母の前にいると・・・・・どうしてでしょう。

甘えでしょうか、それとも、彼女の中に、私自身が許せていない自分を

投影していたからでしょうか。

とにかく、自動的に神経が尖ってしまって、自動的に緊張状態になってしまって、

「うわ、嫌だ」「・・・・ふぅ(落胆と我慢)」「うわ、またこれやっているわ」と

いちいち彼女の嫌なポイントを拾ってしまって、

とっても疲れていました。

 

不思議な感覚でした。

アンテナがびびびびびっと自動的に張ってしまって、

「嫌だ」と感じる言葉、行動、雰囲気など、全部拾ってきていました。

(でも、じっと我慢しています。気にしないように気にしないように。

でも、嫌だ、と感じる心は、感じるのをやめてくれません。)

 

小さい頃から押さえつけて来た感情。

HSPにはきつすぎる言葉の数々。

どうして・・・・・?と純粋に悲しくなる行動。

母が私に投げて来たいろんなものが、私の中に浮遊していました。

 

そして、ある一点を超えると・・・・・

おりゃーっと私は激変して、

母の前で、怒りの人に変身していました。

そうして、彼女を言葉で傷つけ、態度で傷つけ、自分も、激しい感情で

へとへとになっていました。

 

でも、今は。

どう感じているのでしょう。母のことを。

 

前までの私は

過敏だったなぁ、と客観的に見えます。

 

私は、母と、近づき過ぎると、疲れて良くない自分が出てきてしまう、ということは

学びました。

近づき過ぎると、そんなことしたくないのに、きつい言葉で

彼女を拒否してしまったり。とっても自分を傷つける行為です。

だから、遠くに、遠くに、います。

物理的距離感、というよりも、精神的距離感、というか。

母に対して、優しい自分でいられる距離感です。

恐らく、丸1日いたら、疲れてしまいます。

なので、多分、5、6時間、一緒に過ごすのが、適当だと、感じています。

実家だけど、泊まるのは、ちょっと厳しいです。

 

嫌いだ、と感じたり、(自分が言われたら)ひどく傷つく言葉を

誰かに投げつけたり、それはそれで、自分に対してもひどいダメージを与えます。

それは、自分で自分をいじめたり、苦しめる行為です。

 

母のことは、変えられません。

なので。

自分の対応を変えました。

自分の認識を変えました。

自分の限界を見積もりました。

 

自分も傷つかない地点。同時に、母のことも傷つけない地点。

 

前までは、母の嫌なところばかり、目についていました。

本当に嫌だ、と。本当に、嫌いだ、と。

身内じゃなかったら、あまり関わりたくない人だ、と。

 

でも、今は、少し、見方が変わってきました。

嫌いだ、憎いという気持ちは薄れて。

嫌いだ、憎い、という気持ちを持ち続けるのも、とてもエネルギーが要ります。

 

距離感のおかげ様、なのか。

彼女から教わったよかったことは何だろう?が少しずつ見えるようになりました。

小さい頃から、厳しくて、自分のことは自分でやりなさい、と

半ば放り投げ状態で育ってきました。

甘えたかった、気持ちを分かって欲しかった、という私のインナーチャイルド

恐らく、自分で癒せたかと思います。

 

主人とは生活の時間帯が合わないので、

今現在、ほとんど一人で家事育児をしています。

でも、これはきっと、小さい頃から母に

自分のことは自分でやりなさい、と鍛えらえて来たからこそ、

できるんだわ、とある時気づきました。

 

母はある意味、とても、厳しい魂の持ち主です。

人を頼ってはダメ、甘えないで、自分の足でしっかりと立ちなさい、と。

 

この言葉の意味、この言葉の感覚がわかるようになるまで、時間がかかりました。

それができるようになるまで、も、時間がかかりました。

(まだ自分でやれることはあると、目下感じていますが)

 

きっと、人に助けてもらってもいいよ、でも、常に常に、誰かの助けがあると

想定して(見込んで)、考えや行動を作って行くのはダメですよ、という意味です。

常に、誰かに助けてもらわなくてはいけない状態はダメですよ、ということです。

時々、助けてもらうことはあっても、あくまでもオプションで、

基本は、自分の足で立ちましょうね、と

いうことです。

 

とても高潔で厳しい教えです。

でも、きっと、そうなんだと今現在の私は感じます。

精神的に自立すること。

自分の足で立つこと。

自分の人生に責任を持つこと。

自分の蒔いた種は自分で最後まで刈り取る、ということ。

自分の力で、やれる範囲内で、すべてを展開させること。

 

とてもきつかったです。いや、今でもきついです。

でも、この考えをからだの奥に染み込ませたら。

 

人をあてにすることはなくなります。

人に期待することもなくなります。

何か起こった時に、自分の外側に原因を求めるのもなくなります。

怒ったり、イライラしたりすることはなくなって、

常に自分の改善点はどこかな?を探せるようになる、ということです。

どんどこ・どんどこ、最新版に自分をアップデートさせることができる、ということです。

 

そして。

母を見ていて、嫌だなぁ、そりゃないぜーと思う点。

それは反面教師として逆に利用させてもらうことにしました。

母にされて嫌だったことは、気を付けて、自分の子供にはしないようにします。

母を見ていて、そういうのって、どうなの?と感じるところは

そうしないように、戒めとして利用します。

 

母から得た、いいところも、悪いところも、

両方、利用させてもらいます。

そうして、ありがとうございます、と感じられるようになりました。

 

学びと気づきの日々です。

大変です。なかなかきついです。

時々頭がもげそうになります。

 

でも、きっと、私はこういうふうにしか、生きられないんだと思います。

今日はなんだかゴリゴリのまじめなお話になりました。

 

読んで下さってありがとうございます。