日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

「愛」と支配

こんばんは。

お昼過ぎに、保育園から、5歳の娘の方がお熱です、との連絡があり、お迎えに行きました。


巷ではインフルエンザが流行っている?ようだし、念の為、小児科を受診しました。


もう少し熱の経過を見ないと、インフルエンザの検査ができないです、とのこと。

明日の朝まで、熱の経過を見て、上がったり、ぐったりしているようなら、再診して検査をしましょう、と。


ふーむ、ふーむ、そうなのか。


べろっと何か用紙のようなものを舐めたら、はい、インフルエンザ感染しています!とか、すぐに陽性か陰性か、が、わかるようになったら、もっといいのになあ、と思いました(リトマス試験紙のように)。


研究者の方、画期的な、且つ、瞬時にわかる何らかの方法をお待ちしております!



さて。さて。


エナジーバンパイアである結婚相手とのことを書いていきます。


普段、生活パターンが本当に全然違うので、同じ家に住んでいるけれど、ほとんど顔を合わせることがありません。


彼は完全に自分の仕事仕様の生活の仕方を。


私は、娘たちに合わせた、まあ朝方の生活を。


彼の帰宅時間は夜中です。

当然、夜ごはんや、お風呂に入る時間には家にはいません。

帰ってくるのは(私もちゃんとは把握していませんが)、いわゆる夜中です。


朝、私が起き、娘たちを起こす時間には、彼はお布団の中で寝ています。

朝ごはんの時も。


同じ家に住んでいながら、全然違う時間のパターンで生活しています。


完全なるワンオペ育児です。


結婚後、数年、悶々と葛藤した後、

今の私は、それでOKと思っています。


遠く、「突き放して」、いわゆる彼の愛、というものを眺めてみると、

それは精巧に作り上げた支配だと思います。


この「精巧さ」を見抜くまでに、随分と時間がかかってしまいました。


支配。


「仕事で忙しいんだ!」という免罪符のようなものを持って、彼は家を出ます。

彼の仕事は、いわゆる拘束時間の長い職業です。


OK、OK。


(でも、残念!

そう言っているけれど、彼は風俗に行っているのも私は知ってしまったし、彼の「忙しい」「仕事だから」に、もはや何の信用も持っていません)

 

そして、私が本当に助て欲しい!という時間、

彼は家に居ません。


私はその間、ひとりで必死になって、子育てをしています。


私の時間も奪われ、子育てに否応なしに必然的に縛られ、お給料をちゃんと持ってくるから、外で(バレなければ)何をしていてもいいよね、男は!という考えの人。


いやいやいやいやいや。

待って待って待って待って。


そんな男は要らないわ。

と、思います。


信頼できないし、信用もしていません。


私は時間的、そして、(彼の勝手に割り振った)役割的に、自由にさせないようにされている、と感じています。


一応、今は、彼の「忙しい」劇場に付き合っていますが、

私は水面下で、淡々と準備をしています。


完全に突き放して。



生活するお金をいただけて、ありがとうございます、と思いますが、

何度言っても、彼は、

子供が本当に必要としているお父さんをする気はなさそうだし、

結婚相手である、私の話を真剣に聞こうという気もなさそうです。


私は、お互いに、無理なくできる仕事をして、それで得られるお金で生活していけたら、それで問題ないと、思っていますし、子育ては、母親だけの仕事なんかではなくて、夫婦で協力してやって行きたい、と、彼にも伝えてきました。


子供には、お母さんと、そして、お父さんとも、過ごす時間は必要なんだよ、と。


1歳半の娘はまだ上手に話せないので、はっきりとはわかりませんが、

少なくとも5歳の娘は、

「生活を共にする」お父さんを、欲してます。

保育園どうだった?の会話やら、一緒にお風呂入ろうか?やら、寝る前に本を読んでくれる、やら。


相変わらず、彼は、

彼自身が信じて、見える世界を生きています。


男は仕事をする。お金さえ家に入れれば、外で何をしてもいい。

(バレていないと思っているようですが、大変!女子には第6感が備わっているのです!)

女は「その他」の、彼にしてみたら雑用をすればいい。

(子育て?洗濯?買い物?掃除?ゴミ出し?家計のやりくり?保育園での父母会の集まり?園行事?嫁ぎ先の家への気配り?)



ふー…。すごいなあ!

すごい世界観だなあ…と。



でも。

それでいいです。


ただ。

「私」の求めるものと、それは全然違うこと。

娘たちの求めるものと、それは全然違うこと。


それに気づくか、気づかないか、は、

彼の人生だし、彼の問題です。


それぐらい、突き放して、

彼を見ています。


私ができる、今できる、最大のことは、

それだけだと思っています。


突き放して、ただ、見ていること。

(見守る、ではないですね、見ている、だけです、そこにはもう期待なんてありません)


そして、同時に、淡々と、ここから脱出する気持ちを固め、準備をしています。


違う、違う、違う。


こんなことをする為に、私は生まれてきたわけではない。


こんな訳わからない人の、訳わからない「劇場」に付き合う為に、私は生まれてきたわけではない。

そう、強く感じます。


だから、私は、前を見て、

「自分の望む」状態を求めて進むのです。


彼は彼の見える正解を。

でも、私にも、私に見える正解があるのです。



読んでくださってありがとうございます。