身軽な5日間の後
こんにちは。
今日もよく晴れていますね。
子供たちをお迎えに行く時間、気づきました。
少しずつ、少しずつ、日が暮れるのが遅くなっていることに。
前までは真っ暗になっていた時間。
今は遠くの下の方でまだぎりぎり夕方をやっているのです。
はあ!どうしましょう。
まだ最後の難関である2月という1ヶ月が待っていますが、確実に
春が近づいている気配です。
嬉しいなあ!
さてさて。
結婚相手と娘たちの旅は終わって、
私の久しぶりの身軽さも同時に終わりました。
自由で、自分の予想以上に嬉しくて
本当に普段の自分のことが心配になってしまいました。
そして、うーむ、では、
この身軽な子供たちのいない5日を、
世界は何のために私に用意してくれたのだろう?と考えました。
いつもの子供たち込みの生活。
5日間という完全フリーな身軽な生活。
ここを比べてみました。
何が、どう、違うんだろう?と。
この重さと軽さの違いは何だろう?と。
身軽になってみて、初めてというか、改めてわかったことは何だろう?と。
そこで、ボンッと出てきたのは。
時間のこと、でした。
普段の私、しっかりと意識していなかったけれど、
「時間」の管理、というか、統括を負担に感じているんだなあと。
自由過ぎるくらいの娘たちをうまく束ねる、ということに。
5歳の娘、そして1歳半の娘。
かなりのマイペースです。
いや、1歳半の娘は、まだまだ自分でできることの方が少ないので、まだある程度、
私のコントロール可能圏にいます。
5歳の娘。
いやいや、すごいです。
保育園だからお着替えしようね!と声かけしても、放っておくと、本を読んでいたり、
朝から塗り絵を始めていたり…!
ヒーターの前でパジャマのままで寝転んでいたり。
夜、お風呂からあがって、
さあ、クリームも塗ったから、ぱぱっと
パジャマ着ちゃおうね!風邪ひいちゃうよ、と声かけしても、
放っておくと、裸で1歳の妹と遊んでいたり…!
頭がくらっとします。
時間の観念、って、私はどうやって、そしていつぐらいに身に付いたか、の記憶はありませんが、
なんというか、彼女は本当に奔放、というか、すごい揺るぎない自分のペースがある、のです。
彼女を見て、
子供には、時間の感覚、時間の観念というものが本当にないんだなあ、と
気づきました。
私は、自分が子供の頃…
母は当時珍しくフルタイムの正社員として働いていたので、
完全に親の都合、親のペースで
動かされていました。
そして、親に余裕がないので、
子供を時には叱り飛ばして(いや、一方的に怒って?)、私は親のラインに乗せられていた、というか。
ドタドタバタバタした毎日を送っていました(強制的に)。
それぐらい、当時の私は縛られていました。
時間ってなあに?はなくて、
時間は守らなくてはいけないもの、
時間管理できて当たり前、みたいな世界でした。
もともとの私は、結構なのんびり屋なので、
ピリピリした雰囲気の中、
しゅぱしゅぱっと動かなくてはいけないのは、
実はとても嫌でした。
(でも、当時は、自分の気持ちをうまく言い表す言葉も、スキルも持っていませんでした)
親にされてとても嫌だったこと。
これを自分の娘たちにはしない。
これが私の中に、信念として結構強くあります。
だからとても悩ましいのです。
娘の性格、キャラクター的に、マイペースなのだとしたら、
それをしっかりと受け止めたいと思います。
すぐに行動に移せない、のだとしたら、
彼女のそういうところも丸ごと受け止めます。
うんうん。
しかし。
この世界には、時間、という万人に共通の観念があるのです。
私個人が5歳の娘のスーパーマイペースを受け入れていた、として、
家の中では大きな問題はありません。
(私の頭から煙が出そうになりますが)
しかし、彼女が外の世界と一切接触しないで
生きていくことはできません。
一歩家を出たら、びゅんびゅんと目に見えない時間というものに乗った世界が展開されています。
(登園時間やら、歯医者さんの予約の時間やら、もう少し大きくなったら、宿題の提出期限、やら)
そして、私は、
娘のそのマイペースさを加味しつつも、
彼女と、世界の時間の観念とを繋げてあげる役目みたいなものがあるわけです。
怒鳴ったり、怯えさせたりしないで、
(母が私にしたように、ではなく)
うまく、時間というものを理解してもらうには。
時間という目に見えないけれど、
そういうものがあって、そこを無視しては、
この世界では生きていくことは
残念ながらできなくて。
もう少し、彼女が自分で時間を理解して、意識してくれたら、
私が声かけする回数も減らすことができるし
(本当の本当の私は、声かけするのも嫌なのです。自分で気づいて行動しようぜ、と思っています←最終の最終は)、
もっと楽しく毎日過ごせるよなあ、と。
そして、早速調べました。
アナログ時計を2つ用意して、ひとつは、模擬時計として利用する。
模擬時計の方は、終わらせたい時間にセットして、子供によく見せ、
本人には、実際の時間を示す時計と、その模擬時計を見比べて、時間の管理ができるように促す。
ふむふむ、できそう。
丁度よく、家の壁に掛かっている時計は全部アナログです。
そして、時計の読み方を教えるための、
画用紙でできた偽物時計もあります。
朝ごはんのシーンで。
今の時間はこうだから、こっちの画用紙の時計の長い針みたいに、あっちの時計の針が12になったら、
朝ごはんはおしまいにしようね、と。
うまく機能するかな?と試してみました。
娘は、それを始めてから、
ささっと動くようになってきているし、
自分で時計を見ながら、気にしながら、朝ごはんを食べるようになっています。
(彼女が時計を気にしているなんて!)
お着替えの時にも利用していますし、
お風呂の開始の時にも利用しています。
娘は、予定していた時間よりも、
早くお着替えが終えられた時、
「やったー!時計の方が負けだね」
と嬉しそうでした。
なるほど。
予定よりも早くできたら、時計の負け、なのか。
おもしろいなあ。
そうやって、少しずつでも、
時間管理というものに慣れてくれたらなあと思います。
一人目は、本当に試行錯誤の連続です。
そして、あの身軽な5日間があったからこそ、私が普段見えていなかった、
じんわりした負担と重さに気づくことができました。
どうしたら、もっと、軽く、楽しく毎日を過ごせるのか。
この模擬時計は続けてみます。
読んでくださってありがとうございます。