日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

恐ろし学校システム

こんにちは。

まだ寒いけれど、晴れていて気持ちのいい朝でした。

 

心に浮かんだこと。

 

小学校や中学校、高校・・・・。

みんな、違っていて、でこぼこがあるのが「当然」だったり、まっとうな姿であるのに、そこに×をつけて、

みんな平均的にちゃんと、できるようにならないとダメ

という価値観の元で、日本の教育ってなされているなぁと感じます。

国語も算数も理科も社会も、体育や音楽や図工も、みーんな、

平均的に。

 

え、そんなのって、本当、無理ですよー。

その世界観に付いて行ける子、はいいですよ。

じゃあ、その世界観に付いて行けない子は・・・・?

不登校?未来の社会不適合者?

 

私の両親も、例外なく、なんでもちゃんとできなくちゃダメ派でした。

 

私は本当に運動が苦手で、

跳び箱も全然高く飛べなかったし、球技全般は、ボールのスピードに圧倒されて、

飛んでくると反射的に目をつぶってしまうので、顔面で受けちゃったり。

なおかつ、ボールが当たった衝撃で、痛さとかよりも、びっくりして

泣いてしまったり(喜劇?)

ドッチボールも、バスケットボールも、バレーボールも、サッカーも、

まんべんなく、指導要綱?にあったためだと思いますが、

全部やらされて、本当に嫌で嫌でたまりませんでした。

もちろん、水泳も苦手でした。25メートル泳ぎ切りましょう、なんて、

私にはハードルが高過ぎて、最後は泣きそうになりながら、フォームなんて

ぐちゃぐちゃで、何とか向こう側にたどり着いていた記憶があります。

自転車に乗れるようになったのも、12歳の時です。

脇腹に激痛を感じながら走らされた持久走も、意味がわかりません。

徒競走も。今は違うかもしれませんが、1番速く走れた子は1位のリボン。

足の速い遅いに優劣をつけたって意味がない!

一生懸命やってみても、できないことはできないし、苦手なものは苦手だし。

 

体育の成績表の欄は、5段階評価で、いつも2でした。

それを、親にバカにされていました。

 

私には姉がいて、姉には一人娘がいます。つまり、私の姪です。

姪は今、小学校5年生。私から見て、お勉強もできるし、習字も上手だし、すごくよく、がんばっているなぁと思います(がんばり過ぎじゃない?とも見えますが)。

でも、姉は、「聞いてよー、(自分の娘が)水泳が苦手だから、今更スイミングに通っているんだよー。低学年で、ちゃんと泳げるようにならなくちゃいけないのにさ・・・(呆れ顔)」と言っていました。

 

え?

うわ・・・・。

 

私はこういう時、俄然、姪っ子の肩を持ちます。

いいじゃないねー泳げなくったって。お勉強だってよくがんばっているし、字も上手だし、ダンスだって、がんばっているしね!完璧にしなくちゃいけないなんて、無理無理ー、と。

姪は、嬉しそうな顔をします。

 

私はその子のできること、できないこと、全部受け止めて、心に寄り添って

応援してあげられる人でいたいなぁと思います。

努力している姿、とか。これはでも、苦手なんだよね、とか。

 

全部ちゃんと、まんべんなくできる、という方が、むしろ稀、じゃなくて?

 

子供って、きっと、自分が周りの子供たちと比べてみて(比べなくったっていいのに!)、あー自分はこれがうまくできていない・・・・とか

敏感に感じていると思います。

その時点で、すでに少し、心が削れていると思います。

その削れている部分を、周りの親や先生が、わざわざ更に深く削る必要なんてないと思います。

それだったら、その削れた部分を、やさしい態度や言葉で、埋めてあげて、

よっしー元気になったよーってしてあげた方が、よっぽど

子供のためではないか?って思います。

 

これも、完璧に全部やれなくちゃいけない、っていう刷り込み、ですよね。

姉もきっと、自分自身、完璧にならなくちゃいけない、という考えに縛られて、

生活しているんだなぁ、って思います。

 

恐ろしや、日本の学校システム。

自分の子供も、数年したら小学校へ行きます。

長女は、4歳。すでに、繊細な感じをびゅんびゅんに漂わせています。

保育園で、周りのお友達がわーわーうるさくて、耳が痛くなっちゃう・・・・とか

保育園行くと、疲れちゃうんだよね・・・・とか、

〇〇くんにグーで殴られたし、蹴られた(彼女は、誰かに意地悪をする、

誰かを痛めつける、ということが理解できないのです)とか。

 

さて、私ができることは・・・・・。

自分の娘をよーく観察して、理解してあげて、

保育園や、これから来る小学校での生活で、うまくできないことや、嫌だったことに、

私なりに対応する、味方でいてあげる、ということ、でしょうか。

 

できないことを「努力して」できるというラインまで持って行くエネルギーを

難なくできるぜ、っていうことの方に費やした方が、

よっぽど効率がよい、というか、理にかなっている、と思いますが。

 

だって、みんな、得意不得意があって当然だと思うし!

自然に生きましょう。