日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

再確認したこと

こんにちは。

よく晴れています。

窓越しにぴかぴかと太陽の光が射していて、

そしていつものように、

ここは静か過ぎるぐらい静かで、

時々風がふわーーんと吹いてきて、

カーテンを緩く揺らして、

なんとも平和な場所です。


再確認したこと。


わかっていました。

ずっと。

知っていました。


血の繋がりがあるから、

せめて、親ぐらいは、とか、

姉ぐらいは、

私の気持ちをわかってくれないかなあ、と

淡い淡い期待をまだ、私は持っていたようです(昨日まで)。


でも。

昨日、両親、そして姉と会う機会があって。

やっぱり、彼らの反応は、

いつもと同じ。

何十年と、変わらないんだ、ということを再確認しました。



もうずっと前から知っていました。

私が子供の頃から、小さい頃から、

彼らに気持ちは全然わかってもらえないこと。

私が感じていること、これは傷つくなあ、とか、

これは嫌だなあ、とか、これはひどい!とか、

そういった気持ちや感覚。


そして、私がどうしたってブレようがない

強い信念を持っていること。

その信念に従って生きて来ていること。


残念だけど、きっと、彼らには

見えないんだなあ、と思います。

見えないし、感じないし、わからない。


だから、寄り添うことができずに、

訳わからないものへの恐怖心みたいな気持ちから、

「頭のおかしい変な子」

「常識外れな子」

「考え過ぎで、おかしくなっている子」

「相変わらずこの世の中をよくわかっていない子」

的にカテゴライズされて、私と接していること。

昨日、よーくわかりました。


なんて失礼な。


HSPとか、エンパスとか、

人の気持ちが自動的にわかってしまうから、

優しい言葉をかけてあげられたり、

気持ちを汲んであげられたり、

ぴたっと、その人に一番最適な対応をしてあげられる気がします。


でも。

HSPやエンパス自身は、いつだって、

きっと孤独です。


「考え過ぎだね」とか

「細かくて面倒臭い奴」とか

「くよくよし過ぎ」とか、

周りが私たちをわからない故、

どう対応していいのかわからない故、

ひどく傷つく対応をされることが多い気がします。


そして、これまでの人生で、傷つく対応ばかりされ続けているので、

「あ…自分がいけないんだ…」

と自分で自分を否定しないと生きていけないようになっている気がします。


なんて悲しい。

本当に悲しいです。


昨日の出来事で。

そうだった、そうだった。

ずっとずっと前から、彼らは私をわかれないから、彼らには想像もできないような痛みを与える言葉で、私を傷つけてきた人たちだったんだ、と思い出しました。


もう、ぐさっと来ませんでした。


あー…そうだった…

あーふーん…

…知っていたわ、…そうだったわ、

ずっと前から、そうそう。こうだったわ、と

遠くからぼんやりと、再確認しただけでした。


分かり合える人と分かり合えばいいや、と思います。

親だからわかってー!とか、もうそんなのは

数年前に消え去りました。

例え親であっても、例え血の繋がりはあっても、

分かり合えなくて、一方的に

私を変なもの扱いをしてくる人たち。


私が貴方たちに何をしたの?と

思います。

どれだけ私は貴方たちにひどいことをしたというの?と思います。


もう、いいやーー!

と思いました。

面倒臭い。

そんな輩に付き合っている暇はないのです。


自分の身は自分で守らなくては。

自分に一番に優しくしなくちゃ。

そして、私を傷つける人からはどんどん

距離を置いています。


自分の人生に集中して、自分をいかに

幸せにできるか、を考えます。


そっちの方がよっぽど生産的だし!


どんどんと自由になって行きます。


読んでくださってありがとうございます。


変える、ということへの追記

こんにちは。

いやいや。

なんだか3月は個人的にハードな日々です。


ぼーっとなっていたり、外側のことがわさわさわさーっと動いたり、

熱を出したり、べとべとな汗が出たり、

のどがものすごく痛くなったり…。


心が追いついているような、追いついていないような、

相変わらず不思議な日々です。



外はすっかり春ですね。

レンギョウの花が傘みたいにふんわり咲いていることや、

気の早い桜はもう咲いていること。

串にささったお団子みたいにぎゅうぎゅうに、

ぴっちり咲いている桜もあります。


外は意地悪な風ではなくて、

ほわーんと、暖かい太陽の光で。

テントウムシや、アリも土の上で動き始めています。

モンシロチョウも会いに来てくれました。


あー、春!

毎年、冬の寒さに耐えた、ご褒美みたいに

やってくる春。

この柔らかな暖かさの中にいるだけで

自動的に嬉しくなりますね。


さてさて。


先日、変える、ということ、という

ブログを書きました。


実験の結果をお知らせします。


長年、習慣のようになっていること(依存を引き起こすようなことなのです)を、

何となく、止めてみようかな、と先月中旬に突如、思い立ちました。

理由は、私の元にサインが来ていて、

どれのことだろう。

うーむ、この習慣のことかなあ?と自分で思ったからです。


あまり、良くないよね、と

自分でもわかっていたけれど、

止めていないことでした。


少しずつ、少しずつ、頻度を減らして行ったり、自分なりに0にする実験をしていました。


それとは別で。その間。

自分をよーく観察してみると、

娘たちへ、イライラすることが増えている自分に気がつきました。


しばらく、その止めようかなの習慣と

自分のイライラ度との関係を分析していました。


そして、わかりました。


止めてみよう、と決意したけれど、

うまく止められない自分。

(いいところまで行きましたが、やっぱり

0にはなりませんでした)


これは、私にとっては、

完全ではない、不完全な自分です。

直したいことを直せない自分。

ダメだよな、ってわかっているけれど、

うまくできない自分。

いわば、自覚している欠点、みたいなものです。


この、自覚している欠点が、

私にとって、子育てをする上で必要なんだ、というのが

実験の答えでした。


子育て、というのは、

いかに、子供、小さき者の

不完全さを受け止めてあげられるか、という

側面があるのだと思いました。


ごはんの時、ぼろぼろこぼす。

お茶を渡せば、コップをひっくり返して、時にはこぼしてしまう。

お風呂から出て、濡れた足で歩き回ってしまう。

○○しようね!と声掛けしても、指令は聞き捨てられてしまう。

何度も注意したことを、相変わらず繰り返しする。

等々。


これらの子供の不完全さに、

イライラしたり、怒鳴ってしまったり、

むー許せん!という気持ちが湧き起こってしまったり…

これは、心に余裕がない時、

疲れてしまっている時、

そして、

自分の不完全さを自分で受け止めてあげていない時、

なんだと思います。


いや、この実験で、よくわかりました。


自分の不完全さを自分で受け入れてこそ、

他人の不完全さを受け入れることができる、と。


私もできないことあるし、

そうだよね、君たちだって、うまくできないことぐらい、あるよね、という目線です。


そうか。

試してみて、やっぱりできませんでした、私、っていう結果でも、

全然問題ないんだなあ、と今回よくわかりました。


できない自分なんてダメ=自己否定、というのは全然必要ないのです。

苦手なものは克服せにゃあかん、という

ごりごりマッチョな考えも、全然要らないのです。


そして、例の依存を引き起こす習慣…ですが。

依存、って、それがないと気がおかしくなる、とか、

他のことを押し退けてまで、それを手に入れようとする、とか、それをしようとする、とか、そういった状態のことで、

私はそんなレベルではないんだわ、と再確認しました。

あってももちろんいいし、ないならないで、まあいっかーぐらいのレベルです。


外側の情報に見事に踊らされました。


でも、自分だけの答え、自分が一番納得する答え、というのは、

いつだって、

自分の中に、あるのです。

外側、ではなく。


このことも、今回、よくわかりました。


もっと、もっと、自分の感覚、自分で導き出した答えを信じれば、いいのです。

例え、周りが、外の情報が、常識が、世間が、何と言おうと。


よーくよーく、いろんな角度から考察して、そして、自分の答えが出て、すっきりしました。


明日は春分の日

すごいエネルギーをひしひしと感じています。

すごい盛大なパーティーの前のような。

わくわくしたすごいエネルギーです。


楽しみです!


読んでくださってありがとうございます。


混線しているような

こんにちは。

またまた白い1日です。

午後から空気が少し湿ってきて、

夜は雨が降りそうです。


最近。

恐らく3月に入ってから。


頭がぼわぼわしています。

物語の中にいるような。

どれが現実なのか。

何が現実なのか。


いろいろな時空?パラレルワールド?が

混線しているみたいな、

とても不思議な感じです。


起きているのに、時々、がーーっと

頭を持って行かれ、無意識に、無自覚に、

ぼーっとなっていて、突然はっと

ぼーっとしていた自分に気づいて戻って来る、みたいな本当に不思議な感じなのです。


この感じ。

あれに似ています。


小さい頃、大好きだった映画。

ネバーエンディングストーリー


最後の最後で、バスチアンが、

え!まさか。自分が今、読んでいる本の内容が、現実の自分とは繋がっていないよね?

まさか!

(でも本当は繋がっているのです)

のあの部分。


あのシーンが最近よく浮かぶということは、

つまり、そういうことなのでしょう。


自分の思考が作り上げる現実を生きている、ということ。


遠くから自分を眺めてみて。


私が、今、ものすごく不本意

恐ろしワンオペ育児の檻に放り込まれていることも、

時々すごく苦しくて辛くて、泣いてしまうことも、

こんなのって全然幸せじゃない!と感じていることも、

つまり、

自分が作り上げた現実、ということなんだと

気づきました。


私は、鼻血が出るぐらいに幸せになってもいいんだよ、

という許可を自分に出していない、ということなんだなあ、と。


幸せになってやるぜー!とか言っているくせに、多分、私の1%ぐらいが、

いやいや、そうは言っても、幸せになったらダメだよ、と思い込んでいるんだなあ、と。


おーこわこわ。

じっくりこの1%の自分を探り当てて、

根こそぎ癒して、

最高に幸せになってやるぜー!と

思いました。


みんな自分専用の映写機を持っていて、

みんな自分専用のスクリーンを持っていて、

みんな自分専用のストーリーを生きている、ということ。


どんなストーリーを生きたいか、は、

選べるのです。

ステキ。


ぼわぼわな頭から紡ぎ出した言葉です。


読んでくださってありがとうございます。


月の影響?

こんにちは。

今日もまた雨、曇り空ですね。


今日の未明に魚座新月となりました。

昨日、ブログに書いたように、

3月に入ってから、どんどん重苦しく、息苦しい感じに襲われていました。


普通に呼吸していても、まるで

酸素の薄い山の上にいるような。


月の影響なのかなあ…と密かに思っていました。


今朝起きて。

空気が一気に抜けた感じになりました。


同じように、雨模様、曇り空ですが、

空気感が全然違います。


ずっと濁って澱んでいたものが、

しゃっと、洗われたような、

透明感のある空気に変わりました。


もうこれって、人の力どうのこうの、の問題じゃなくて、

でも、確実に、月の動きやら、暦やらは、

私たちにすごく影響を与えているんだなあ、と改めて感じました。


透明に澄んだ空気の中、犬の散歩をしました。


昨日までの、あのどうしようもない

苦しい感じは一切なくなっていました。


その時に感じたこと。


特定の何かがあって(明確な原因があって)、

気持ちが沈んだり、メンタル的に落ち込んだり、

そういうのではない時。

つまり、季節的なものや、月の動きなど、

目に見えない大きなものに影響を受けて、

自分ではどうすることもできない感じで

どうしようもなく落ちている時。


そういう時に吹き出てくる感情。

(大体においては、ネガティブなものだったり、いつもはスルーできる怒りだったり、

イライラ感だったり、

普段はうまくやり過ごせているからこそ、明確に感じ取れていなかったりする、微細な気持ちだったり…)


落ちているからこそ、理性の?蓋がバカバカになって、噴き出してくる気持ち。


そういうものも、自分の中の大切な気持ち、として、

(いい、とか、悪いとか、判断せずに、)

感じ取ってあげることは大切なんだなあ、と思いました。


普段は、見えない感情や気持ち。

普段は、掬い取り切れない、微細な気持ち。

でも、あー自分は、本当はこんなふうに感じていたんだよなあ、と

噴き出すままに、客観的に眺めてみること。


この作業をするだけでも、

自分の中に澱みがなくなっていって、

サラサラサラサラ居られるんだなあ、と思いました。


そして、閃いたこと。

なんだか調子が出ないわ…という時。


そんな時に、自分の「やりたいこと」をやろうとしても、うまく行きません。

集中力も欠けているし、やる気も万全ではありません。


そういう時は、やらなくちゃいけない事務的な事柄をやっつける時にしたらいいんだ、と思いました。

保育園に提出する書類作りやら、銀行への振込、家の掃除やら、ついつい後回しになっていたけど、やっておきたいこと、など。

いつかは、どうせやらなくちゃいけないこと。

そういうことは、この、停滞期みたいな時にやっつけて、

そして、ひゅいひゅいーっと軽やかに進める時になったら、

自分の「やりたいこと」に専念したらいいんだわ!と思いました。


無駄がないわー!

すてき。


それにしても、この3月に入ってからの

縛りみたいなのは、きつかったです。

こんなの久しぶりでした。

解けてよかったー!


読んでくださってありがとうございます。

夜明け前の暗さ?

こんにちは。

今日も白い空です。


うーん、恐らく3月に入ってから、

なんだかとても重苦しい感じがしています。

強い眠気に襲われたり、休んでも、寝ても、

からだの奥底からじわじわと、

いくらでも疲れが滲み出てくるような、

そんな感じです。

そのくせ、夜は何度か目が覚めたりして、

少しおかしな感じです。


雨が降ったり、もしくは、どんよりとした

曇り空だったり、

いまひとつ、抜けない感じでとても

重苦しいです。


(喉と胸にマッシュルームをたくさん詰め込まれたみたいに、息苦しいのです)


でも。

焦ったりしなくなりました。

ふわーっと軽やかに進む時もあれば、

滲み出る疲れと眠気とやる気のなさに

どうしても襲われる時もあります。

 

仕方がない。仕方がない。



この世界は、波のようです。

高い波と低い波と、交互にやって来ます。


常に同じ高さを保たなくちゃ、と思い込んでいたら、

きっと、もっと辛くなります。


でも、力を抜いて、自分の周りにある、

波に任せておけば、

自分も高くなったり、低くなったりして、

流れに逆らうことはなくなります。


力を抜いて、そのまま。

変化の連続の中に、私たちはいるのです。


こんな時は、じっとして、

波がまた高くなるまで辛抱です。


こんな時もあるさ。こんな時も。


でも、きっと、もうすぐ、

何かがしゅぽーーーんと抜ける感じは

しています。


何かがうわーっと大きく動き出す前、みたいな…。


その時まで、じっと、じっと身を低くして辛抱です。


むふふ。

何が待っているのでしょう!


(楽しみ!

ちょっとだけ元気になりました。)



季節の変わり目は、実は

私たちに、私たちのからだに、大きく影響を与えます。


みなさんも、どうぞ、無理なく、やさしくお過ごし下さい。


読んでくださってありがとうございます。

変える、ということ

こんにちは。

昨日は1日中冷たい雨でしたが、

今日は白く曇った空になりました。


少しずつ、少しずつ、寒いのに耐えながら

手でボートを漕いで、やっと、冬の時期を

渡ってきたような気持ちになります。


今日から3月。

新しい月になると、やっぱり

少しぴりっとした、新鮮な気持ちになりますね。どんな1ヶ月になるのでしょう!



(良くないよねーと)わかっているけれど、

ずっとずっと続けている悪い習慣があります。

もう当たり前のように自分に貼り付いているその習慣。

(お酒やタバコ、過度のチョコレートやカフェインのような依存性のあるものなのです)


でも先月中旬ぐらいに

いきなり、

もう、それ、止めてみようかな、と

思い立ちました。


変わっていくこと、ではなくて、

自分が主体となって「変える」こと、です。


でも。

難しい、本当に。

長年の習慣になっていることを、

止めようと決意したけれど、

翌日からぴきっとぱきっと、はい止めましたー!とはできない自分がいます。


例えば。

当たり前のように、テレビを見続けている人が、

翌日から、テレビを全く見ない生活にしよう!と思っても、なかなか難しい、のと一緒です。


習慣、とは、もう、その人の一部であったり、生活の一部、みたいなものです。


そして。

突然、何かが変わる、というのは、

衝撃も、心とからだがついていけない具合も、大きいです。


それぐらい、習慣を変える、というのは、

私にとっては難しいことです。



どうしよう。どうしたらいいのー?

うえーむ。

と思っている時。


・・・が見えました。

(時々、視覚的に、閃きが与えられます)


−−−−−−−−−−→_________

ずっと続いて(しまって)いたことを、

いきなり無、にするのは、

なかなか厳しいです。


(きっぱりびしっと止まなくちゃ、と思って試しましたが、うまくできませんでした)


そこで、奥底からのアドバイス

−−−−−−−−−−→・・・ ・ ・  ・  ・  ・    ・


これでした。


線から、点へ。


点から    点へ         点へ           点へ

これなら続けられそう!


たぶん。

気温2度の冬の日から、翌日窓を開けたら

気温30度の夏の日になっていたら

花も虫も、私たちのからだも意識も

全くもって付いていけません。


気温が下がったり、少しだけ上がったりして、少しずつ、少しずつ、

季節は変わっていきます。


季節が変わるみたいに、

ぽちょん、ぽちょん、と、雫が1滴ずつ垂れるように、

少しずつ少しずつ、私も変わって行ったら、

「無理なく、負担なく」変わることができるのかも、と思いました。

 

今、真北を向いていたとして。

毎日、1センチずつ、右へ足を移動して行ったら、

いつかは、確実に、真東を向く時が来るのです。


私にとって大切なのは、

急に変わろうとすることではなくて、

東を向いてやる!という決意を忘れずに、

毎日少しずつ、少しずつ、

その方向へ向かっていくことなのかなあと思いました。


もちろん。

すぐにばしっと変われる、という人もいると思いますけれど。

それぞれ、自分に合ったやり方を選んでいったらいいのね、と思いました。


自分に厳し過ぎずに、でも

確実に変えるやり方。


難しいよー、できないよーと思っていたことに対して、

少しずつでも、意識して、変えようと続けていくこと。

毎日、昨日とはちょっとだけ違う自分です。


そして、毎日、

ぽちょん、ぽちょん、と雫が1滴ずつ垂れるように、

自分に対しての自信もついてくるのです。


それは嬉しい!

がんばろう。


読んでくださってありがとうございます。



可愛い子には旅をさせよを実感したこと

こんにちは。

今朝は5歳の娘を皮膚科へ連れて行きました。

2日ぐらい前から、頰が赤くぷつぷつに。

何か変なもの食べさせたかなあ、

蕁麻疹?と思って様子を見ていましたが、

痒がって可哀想なので、受診しました。


原因は、花粉?とのこと。

今お世話になっている先生は、

とても信頼出来る方です。

(よっていつも混んでいます)


娘の肌を見て、皮膚が薄いのね、

花粉の影響じゃないかと思いますよ、とすぐに

教えて下さいました。


うーむ。そうか。

そう言えば、私も、この1週間ぐらい

何だか肌が敏感で、ちくちくしているなあ。


敏感なみなさんも、どうか花粉には

お気をつけ下さい。

洗濯物をお外に干すのも、一時的に止めた方がいいかもしれませんよ、との

アドバイスもいただきました。


ご参考までに。


さてさて。


下の1歳8ヶ月の娘が保育園に通い出して、もうすぐ1年になろうとしています。

本当に早いものです。

去年の今頃は、お布団カバーや、お給食のコップ入れなど、

ミシンでがたがた縫っていたなあ、と思い出しました。


次女は、生まれた時から、不思議な存在でした。

私は、長女の時は、頑固な逆子だったので、帝王切開で出産しました。

なので、次女も、自動的に帝王切開となりました。


恐らく、自然分娩をされたお母さんたちは、

出産後、数時間したら、初めての授乳をすると思います。

私の場合は、出産してすぐに、次女と一瞬対面しましたが、

麻酔が切れて、自分でお手洗いに行けるようになってから、

新生児室へ行って、授乳やお世話を開始する、という感じでした。

なので、たっぷり24時間以上は、

母の体力回復に専念しました。


出産後の一瞬の対面後、

初めて看護師さんに、次女を部屋まで連れて来ていただいた時。


私が「ごめんねー。(他のお母さんたちは新生児室へ来ているし、他の赤ちゃんはおっぱいももらっているし)お母さんがいなくなっちゃったと思っちゃった?」と娘に言った時。


(この声は)あなただったのね!

という顔をしました。


うわあ。お腹の中で、きっと、ずっと、私の声を聞いていて、生まれてから、この声の持ち主を探していたんだわ…と直感的にわかりました。


次女を抱くと、本当に不思議な穏やかな気持ちになります。

しーんとしていて、でも全然寂しい感じがなくて、

広くて、静かな森の中にいるような、

もしくは、

凪で穏やかな海みたいな、

そんな気持ちになります。

静かで平かで穏やかな。


最初からそんな感じだったので、

次女の感じていることが、普通に私にも流れてくる、そんな感じです。


大きな音も嫌だし、騒がしいところも嫌だ、

でも、お外へ連れて行くと、

ちゃんと空気を読んで、ものすごく静かにしていてくれます。

電車の中や、待合室など、外で次女が騒いで大変だった、という記憶は、全くありません。


でも、それは、逆を考えると、

周りの大人たちがうまく察してあげないと、次女は頑張り過ぎてしまう、ということです。


だから、赤ちゃんの時は、

なるべくなるべく、次女が疲れ過ぎないように、(自動的に)頑張らせ過ぎないように、

注意深く行動していました。


そんな彼女が、9ヶ月の時に、

保育園に入所しました。


私が自分で保育園入所の希望の紙を出したくせに、いざ、入所決定の通知が来た時は、

正直、おーどうしよう!と思いましたし、

ざわざわしましたし、ちょっと泣いたりもしました。

(保育園に入所できなかった方には申し訳ないですが)


生まれてから、ずーっと、一緒にいたし、

まだまだ小さな、9ヶ月のぐにゃぐにゃの赤ちゃんを、保育園に預ける…ということ。

私はひどいお母さんなのかなあ、と

自己嫌悪みたいな気持ちになったり、

罪悪感がつきまとったりしていました。


でも。

この待機児童がたくさんいるご時世で、

すんなり入所できるのも、運命だし、

それに、

生まれた時からすごく感じていることですが、

この子は光の子供、だし、

私の手元から離れて、お外で彼女なりに

何かお仕事する役目があるのだろう!と

思ってからは、気持ちが変わりました。




次女は、違う環境になると、慣れるまで時間がかかる、

騒がしいところが苦手、

そして、注意してあげないと、頑張り過ぎてしまう、というのが

よくわかっていたので、

慣らし保育は、かなり時間をかけました。


他のお母さんたちは、1週間後、10日後には、もう普通に朝から夕方まで預ける!

という感じでしたが、

先生には、娘の様子を見ながら、決めて行きます、と伝えました。


他のお友達は、ママのいない慣れない環境の下、眠いのに寝付けなかったり、泣き喚いたり、

なかなか大変でした。

そして、先生も、そんな子供達に対応しようと、

全然余裕がなくて、わさわさ、ばたばたな状況でした。  


娘は、おもちゃや、他のお友達と遊びつつも、少し不安になると、私の膝のところへ戻る、というのを繰り返して、

毎日毎日、少しずつ、慣れて行ってくれました。

他のお友達が泣き喚いていても、

動揺せずに、私の顔を見て、安心して過ごしてくれていました。


他のお友達がお給食をいただく時間になると、

では、また明日、お願いします、と言って、2人で家に帰っていました。


娘にとっては、ママと一緒に来て、ちょっと遊ぶ児童センター?みたいな感じだったのかもしれません。


4月の3週目に入り。

他のお友達もだいぶ慣れて、落ち着き、

先生もだんだん上手に対応できるようになった頃。

ようやく、では、2時間後に、お迎えに来ます、や、

お給食が終わる頃に、お迎えに来ます…と

娘をひとりで預ける時間を延ばして行きました。


4月の4週目になりました。

娘は、私と離れている時間も

泣いたりせずに、楽しく遊んでいるようでした。


うーむ。さて。




最後の最後は。

やはり、私の気持ち、でした。


私の中に、パキッと娘と離れる決心が

まだついていないことに気づきました。


「あーこれは、私の問題なんだな」と。


娘は、最後の方は、きっと、

私に付き合ってくれていたのでしょう。


このままじゃ、保育園に預ける意味ないし、先生も、(私がうろうろしていたら)やりにくいだろうし、

私が、気持ちをしっかりしなくちゃ、と

心にばしっと決めました。


そして、その翌日から、

では、夕方までお願いします!と

先生に伝えました。



先生に娘の様子を聞くと。


慣れるまで時間がかかると言っていましたが、○○(次女の名前)ちゃんが、

一番、実は順調です!

他の子は、まだまだおんぶしないと眠れなかったり、泣いてばっかりですが…。


そうか!やっぱり。

子離れできていなかったのは、私の方だったのね。



保育園に預ける前は、

こんなに小さいのに、お母さんと離れたら可哀想!だよね、やっぱり…

と思っていました。


でも。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれません。


みんなママが大好きだけど、

でも、娘を見ていて思うのは、

保育園の先生に本を読んでもらったり、お歌を教えてもらったり、

おもちゃで他の子と遊んだり、

お外へお散歩行ったり、

みんなでお給食を食べたり、お昼寝したり…

とっても楽しそうです。

0歳児なりの、横のつながりもあったりして。


朝、保育園行くよー、と言うと、

自分で上着を持って来て、

「まだ行けないのかい?」みたいな顔をします。


お母さんやお父さん、おじいちゃんやおばあちゃん以外の人に、

おはようと声かけしてもらったり、

抱っこしてもらったり、

一緒に遊んでもらったり、

家の中で、ママとマンツーマンよりも、いいのかなあと、今は思います。


もちろん。

ずっとママと一緒、というのもいいです。


ただ、私は、どうしても行動がワンパターンになりやすかったり、

決まったような遊びばかりしていたり、

どうしても制限が付いてしまうような気がするので、

保育園に預けて、よかったなあ!と思っています。


子供はママと一緒がいい(に決まっている!)という価値観もあります。

特に年配の方たち(私の母も!)。


それも正解だろうし、

でも、それだけが正解ではない、と

私は思っています。


きっと、4月から子供を保育園に入所させて

お仕事復帰、というお母さんたちもたくさんいるでしょう。

たぶん、みなさん、心のどこかで、

いいのかな。これで、いいのかな?と

感じるのかもしれません。


0歳児でも、1歳児でも、2歳児でも、

どんなに小さくても、

ママと一緒、とは違う世界をきっと子供は持っているし、

なにより、とても楽しんでいますよ。


お母さんとずっと一緒がいい(と子供は思っているに違いない)と思っているのは、

実は、お母さんが子供と離れることへの不安があるから、かもしれません。


子供は、私たちが思っているよりも

強くてたくましいのです。


読んでくださってありがとうございます。