日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

子供たちが教えてくれたこと

こんにちは。

今日も空は白いです。あー冬っぽい。


今回の冬は、結構青空が見えていたり…でしたが、

そうだった、そうだった、

冬の空は白くて、うすぼんやりと太陽がゆるく出ている、こんな感じだったと

今更思い出しました。


でも、うちの近くは、濃いピンクの梅、少し黄緑色がかった白い梅、そして、

レンギョウも咲き始めています!


気づけばもう2月。

よくがんばった(寒さに対して)…あともう少しで春がやって来ますね!嬉しい。



今日は私の子供について、書いてみようと思います。


私には5歳の娘と1歳半になる娘がいます。


子供。子供。


自分の子供。


子供って、本当に不思議な存在です。

今でも、あー私?私って子供いるの?みたいな気持ちになります。


今、思うこと。

彼女たちは、私の気づいていなかったエゴやら、考えの癖やら、生きづらさの思考やら、

ばしばし指摘して、私を鍛えるために、やって来たんだなあ…と感じます。


はっきり言って、鬼コーチです。


ぴしゃっと、定規で叩き、

否が応でも、ぐいっぐい、私の器を広げる役目。

そんなの無理だよーと思っていたことも、

巨大なペンチで、ぐいーーっと、

広げられ続けました。


母となってから、本当に、相当鍛えられました…。


親になった当初、いや、1年とか、2年ぐらいは、

本当に自分の闇というか、癖というか、エゴとの闘いで、

毎日が罰ゲームみたいな、

永遠に続く恐ろしい修行のような、

重苦しい気持ちでいることが多かったですが、

今は、(鬼コーチたちのお陰様で)

私の中も、さらさらさらーっと軽いものに

なり、楽しい穏やかな気持ちでいられるようになりました。



5歳の娘も、そして1歳の娘も、

とても強い何かを持っています。


「我が強い」という言葉は、何かネガティブなものを感じますが、

彼女たちの中に、

「ブレようがない強い芯」みたいなものが見えます。


このブレようがない強い芯は、

きっと、真理みたいなものなんだろうなあ、と思います。


「○○ですが、何か?」みたいな凜としたものです。


きっと。今生まれている子たちは、

そういう光り輝く人たちなんだろうな、と感じます。



彼女たちは私に見えていなかった真理を伝える役目。

そして、私も、彼女たちがまだ見えていない、知らない真理を伝える役目。


お互いに、協力して、情報交換みたいなことをしています。


そして。

よく一般に言われているように、

子供だから…というのは、彼女たちには通用しません。


子供だから、親の言いなりにさせてもよい、とか、

親の都合で振り回す、とか、

親の意見を勝手に押し付ける、とか、

そんなの、本当に、通用しません。

第一、とても、失礼です。



彼女たちは、からだは小さくて、

この世界に生まれてから、まだ数年ですが、

でも、1人の立派な人たちです。


だから、

当然ですが、

尊重されることを望みますし、

意見を聞かずに勝手に何かすると、ものすごい勢いで主張します。

ごまかしも効きません。


でも、人として、当たり前のこと、ですね。


誰だって、尊重されたいし、

尊重されることを知っていれば、

自然と他の人のことも、尊重できるのです。


そして、これは、私がよく

5歳の娘から言われていたことですが。


「ケンカしないで!」



今ならよくわかります。

ケンカしないで。

つまり、対立、しないで!ということです。


みんながみんなを、尊重していれば、

対立、という構図は、出来上がらないのです。

対立する、衝突する、ということは、

自分の都合や考えや価値観を盾にして、

剣を振りかざしているということです。

そこには、

相手への理解や、尊重の気持ちが欠けてしまっているのです。


私は、娘たちを通して、学びました。

無用な綱引きなんてする必要はないこと。

(どっちが正しいやら、誰があっている、やら)


相手を尊重して、

自分と合わないんだな、と思う部分は、

あれこれ、ごちゃごちゃ言わずに、

さっと、すっと、

退避すればいいんだ、と。


そうすれば、対立ではなくて、

お互いを尊重する調和の世界にいられるのです。


彼女たち。

すごいパワーです。

そして、ものすごい奔放です。


自由奔放。

きっとこれも光り輝く人たちの特徴なのでしょう。


からだは小さいけれど、とても

たくましい存在です。



読んでくださってありがとうございます。