日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

わくわくする気持ち

こんばんは。

ちょっと寒いですね。天気予報が少しずれている感じがします。

 

言葉が降ってきましたので

書きましょう。

 

 

わくわくする気持ち。

 

多分、これだけが、自分の本当の場所へ連れて行ってくれる。

わくわくする気持ちに従って行けば

自然と、ぶわーっとつながるし、

神様が応援してくれている、ということ。

これでいいんですよっていうこと。

 

みんなきっと、これが怖くて、頭でいろいろと考えているのでしょう。

でも、それは違います。

頭が示すことは、心に張り付いた要らないエゴが言うこと、です。

 

神様はきっと、みんなにわくわくして生きて欲しい、ってことなんですかね。

 

これじゃない感

こんばんは。

閃いたので、すぐに書きましょう。

 

今、これじゃない感がしている方たち、

なんか違うよね、こういうのじゃないよね、とか、

私、やら俺、が望むのは〇〇だよ!と

奥底から湧き上がる何かがあって、

それに突き動かされている方たち、

 

もしかしたら、

インディゴチルドレン?

ではないのかしら。

 

これまで仕方ないよね、とか

我慢しなくちゃ、とか、でうやむやにされていたことに、

いーや、違うよ!本心では、そんなこと、ちっとも許せないよ、と

血をたぎらせている方たち

 

インディゴチルドレンではないのかしら、とふと、思いました。

 

詳しくは、

インディゴチルドレンで

調べてみて下さい。

 

あなたたちは、とっても合っていると思います。

まっとうなのは、あなたたちです。

だから、

自信を持ってください。

自分たちの奥底が教えてくれることが、本当に正しいことだと

思います。

強く、いて下さい。

混じらないで下さい。

正しいのは、あなたたち、です。

 

誰かに届きますように。

思い出したこと

こんにちは。

すっかり春になりました。もう本当にうれしいです。

てんとうむしもたくさん見つけられるし、

風はあたたかで、空気が緩んできて、

草木がみんな勢いを取り戻す季節です。

これから4月、5月は、もう、緑が萌えて

人なんてよりも、木や葉っぱの方が圧倒的な勢いです。

楽しみ!

 

毎日、毎日、玉ねぎの薄皮むきみたいに、

自分の内側がどんどん、核心に迫って行くような日々で。

でも、無理やり感じる、とかではなくて、

もう自然に。ぶわーぶわーっと浮かんで、そして

静かに、あーつまり、こういうことなのね、と

わかってしまう日々です。

 

自分が何者なのかも、思い出しました。

自分がどうして、小さい頃から、なんだか違和感たっぷりな

人生を歩んできたのかも、今ならよくわかります。

そして、これから、自分は何をする役目があるのかも、

よくわかりました。

 

すべては、「これ」のために、全部全部、繋がっていた、ということも。

 

 

私と似たような方、もしかしたら、いるのかもしれません。

小さい頃から、なんか、うまく、合わない、というか、

しっくり感がない感じで過ごしてきた方。

ひとり遊びが結構好きで、意地悪されたりするのが、本当に嫌で、

いじめるのも嫌で、泣かされることが多くて、そして、

周りの人に、傷つけられる、ということも多くて。

暴力をふるうという考えが全くなくて。

 

小さい子供、とか、赤ちゃんとかが好きで、

優しいおじいちゃんやおばあちゃんも好きで。

本が好き。そして、人の話をじっと聞くのも好きかもしれません。

私は保育園に入園した記憶はあいまいですが、小学校に入った時、

「あ、そうか・・・・。これからこういうところで過ごせってことね」と

軽く戸惑いがあって。教室の感じや、木の匂い、覚えていますし、

なんだか新しい世界に来たんだなぁと戸惑ったのも覚えています。

それから、小さい時からの記憶がやたらとある。

子供の頃に読んでいた本のタイトルや、挿絵もよく覚えている。

記憶力がいいから、勉強もそんなに苦労せずにできたかもしれません。

 

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人のことは邪魔したりしないから、その代わりに、私のことも

邪魔しないで、って思っている。

誰に教わったわけでもないのに、人は人、自分は自分、とわかっている。

性的なもの(卑猥なものとか、欲望がまっさきにあるみたいなもの)に

ひどい嫌悪感がある。

人の気持ちがよくわかってしまう。

変な場所はダメ。嫌なオーラとか、尖った気持ちのいる人の場所にいると

ひどいと吐き気までしてしまう。

私は新宿は本当に嫌いです。おえーっとなってしまいます。

人の悪いエゴみたいなものが、透けて見えてしまう。

頭の中がすごい勢いで回っていて。止められない勢いです。

そして、脳みそがぐったり疲れたわーということも、時々あるかもしれません。

 

後半は、自分の気持ちを言語化できるようになってから、

自分が感じていたことです。

 

とにかく、「嫌だー」と感じる気持ちが強すぎて、

でも抑えられないくらい、強い気持ちで、

どうしてこうなんだろう・・・・と自分でも涙目になるくらい

感覚を持て余す時があったかもしれません。

でも、嫌なものは嫌だ、と譲らないで来たかもしれません。

 

私はそういう自分であることを持て余していた時期も、

もちろんあります。

もっと、ふつうでいいのに・・・・と。

どうしてこうなの!私・・・・・・!と。

 

でも、これが自分だ、と受け入れた時から、

世界はぐるぐる大回転を始めて、

そして、今に至ります。

準備期間はあったにせよ、ものすごい勢いで

世界観が変わったのは、本当にこの数か月の話です。

 

そういう、魂で生まれて来た、ということ、なんです。

きっと。

悪いものに染まりたくない、というか、染まれない、魂です。

 

今大変な人、つらい人。

このブログを見つけた方は、きっと、

このブログが必要な方なんです。

何かを拾ってください。

読んで、心に残ったこと、それが、必要だった情報なんです。

 

世界はとても美しいです。

とても、美しいところです。

一緒にがんばりましょう。

常に選択の連続

こんばんは。

日曜日、子供たちと犬の散歩へ行って、

河津桜が咲いているのを見つけたり、久しぶりに行った

公園には、ミモザの花がとってもきれいに咲いていたり

今日も、じゃんじゃん美しいものを私たちに見せてくれました。

うれしいなぁ!本当に、どうもありがとう!

 

知らないうちに、自分の中に

こそっといた、きっと事実。そして、真実。

 

「常に選択の連続」

もちろん、誰かの、ではありません。自分自身の、です。

 

ずっと前に、ぼやっと見えたのは、

本当に小さなことでも、とにかく、選択の連続で、

ぶわーーっと遠くから、そして、上から見ると、

巨大なあみだくじみたいに、人生はなっている、ということ。

 

例えば、朝ごはん。とっても軽いお題ですが・・・・。

ここで、パンを選ぶか、それともごはんを選ぶか

パンはクロワッサン?それともバターロール?シンプルな食パンかしら?

お飲み物は、紅茶を飲むか、コーヒーを飲むか、それともジュース?

たまごを焼くか、それともなしか

たまごも、スクランブルエッグ?それとも、目玉焼き?ゆで卵?

固ゆでかしら?それとも、半熟かしら?

ヨーグルト、食べる?要らないかな?

食べるならジャム乗せる?

イチゴのジャム?ブルーベリー?はちみつを垂らす?

等々。

もう、ありとあらゆることが、自分の選択、なんです。

 

朝ごはんを例にしましたが。

本当に、あらゆること。バスに乗るか、歩くか、とか。

するか、しないか、とか。

行くか、行かないか、とか。

 

もっと大きなことで、就職するか、しないか、とか

家を買うか、買わないのか、とか。

 

もちろん、その時、その時期、とかによっても

自分の中が教えてくれる選択は違ってくると思います。

 

自分の中を、濃くして(つまり、不要なものを常に排除することに努めて)

そうして、どうしたらいい?と聞いてみて、

教えてくれること、もしくは、やたらと頭の中に浮かぶ方のことを

選んでいったら、自分を苦しめるようなことはないし、

モーゼの十戒みたいに、しゃーっと進む方向がきれいに開けている。

なんだかそうなんだよね、と、とっても感じます。

 

選択の連続。

「自分」が「選んだ」と常に意識していれば、

誰かのせいにすることなんてないし、もしも、

まずいことになったとしたら、うーん、じゃあ次はどうしたらいい?って

自分に聞いてみて、そして改善点が見つかったら、

次はその通りに動いてみる。

こういうふうにしていけば、常に常に、よりよくいられるし、

そして、自分の精度をあげることができるのではないかしら?と感じます。

最新アップデートの連続、みたいな。

 

その時、できる、自分の精一杯で全力で生きる。

それの連続である、ということ。

そうしたら、とっても充実した毎日が送れると思います。

後悔なんて、したくないですよね、誰も。

 

それから、同時に、

誰かに嫌われたり、うわーっと思われたっていい、という

勇気も持つこと。

誰かの気に入るために、私たちはいるわけじゃありません。

自分を生ききるために、きっと、命は授かっているんです。

 

人に与えられた「時間という概念」は、みんなに等しく降り注いでいます。

寿命とか、人生、とかですね。

そこを、自分の1%で生きるか、100%で生きるかは、

人それぞれ、なんですよね。

誰かのせいにしたって、何も始まりませんし、時間は取り返せません。

環境のせい?誰かの意見のせい?社会のせい?国のせい?

それらのせいにして、するっと逃げるのって、きっと楽なんですよね。

痛い思いしなくて済むし。

心がぎゅっとする、あの感じを感じないで済みますし。

 

自分の人生は、自分(自分の感覚・心が教えてくれるもの)だけのものであって、誰か他の人やらものが

操縦するなんて、もったいない!と私は感じます。

 

でも、それを選ぶか、選ばないかも、人それぞれです。

選択、です。

 

このブログを読んでくださる方って、HSPの気質のある方たちだと

思うので、自分にうそをつけない方が多いと思います。

うそをつかない方が、実は強いんです。

うそをつける、って、結局は、自分をごまかす、ってことだから。

 

正直過ぎて、うそをつけない、自分をごまかせない、って

実は、本当に、強いことなんだ、ってよくわかりました。

ぶれることなんて、ないですよね。

常にぎゅうぎゅう詰めの私です。

 

こういう気質をいただけて、私はとても恵まれているなと

感じるようになりました。

とってもありがたいです。

 

 

 

 

 

 

すべてがつながっていたこと

こんばんは。

今日は1日、曇り空でしたね。

灰色の絵の具で丁寧に描いたような、曇り空でした。

カラスが上の方を飛んでいて、

次女が嬉しそうに笑っていました。

次女は、カラスが大好きみたいです。

 

彼女がカラスが好きそうだ、とわかってから

私もカラスのことを調べてみました。

とっても頭がいいんですって!

虹の色は、人間だと7色ですが、14色も見分けられるんですって!

人の顔も覚えちゃうし、今日は可燃ごみの日だよねーとかも、

知っているんですって!

前までは、黒い大きな鳥で、ただ、ちょっと怖いなぁって思っていたけれど、

でも、知ってみると、親近感が湧くし、

そう、きっと、「知らない」って、人は「怖い」って

まず感じるんですね。

 

そして。

「すべてがつながっていたこと」

気づきました。見えました。

これまでのこと、全部、つながっていたこと。

あらゆることに、意味があったこと。

この前書いた、「主人公が自分だった!」ということが、

自分の中で落ち着いてきて、そうしてよーく周りを見渡してみたら・・・・・・。

 

私がこういうふうに物事を見えるようになるために、

みんな、キャスティングされていた、ということ。

そして、反面教師的な役割だったり、純粋に優しく接してくれた人だったり、

もちろん、ただ、そこを歩いている人、という役割の人もいるのかもしれないけれど。

 

関わりのあった人、関係性のあった人、感情を交わした人たち、

みんながみんな、思い返すと、

彼からはこういうことを学んだ、とか、彼女からは、こういうことを学べた、とか

今の私を形作る、みんながみんな、要素であった、ということに

気づきました。

 

正直、すごく、驚いています。戸惑っている感じがします。

 

でも、ただひたすらに、

ありがとう、みんな、ありがとう、という気持ちでいっぱいになります。

 

今は連絡を絶っている実母。

彼女からは、「自分のことは自分でやりなさい」ということを

学びました。

受け入れ難かったけれど、でも、小さい頃からそう言われ続けたおかげで、

私は、主人が激務でほとんど家にいない状態でも、

自分で2人の娘たちと犬1匹とうまく暮らせています。

 

彼女の、幼少期の私に対する接し方に疑問を持ったからこそ、

今、私は、気を付けて、自分の子供たちに「こうしてあげたい」と

思う接し方で接することができています。

 

もうしばらく意識にあがっていなかった離婚した最初の夫。

彼からは、「自分の心に従っていないと、やっぱり、残念な結果になるよ」と

いうことと、

「嫌なことがあったらすぐに逃げる、という姿勢だと、同じこと(離婚)の繰り返しになるよ」

ということを

学びました。

 

本当に、いろいろなことが

「心の自分に従ったら」うまく行くようにセットされているんだ、という

奇跡と、とんでもない、驚きと、

そして、ただひたすらにありがとう・・・・・と思える感じ。

 

みんなにありがとう、という気持ちで、

接して生きます。

こんなすごいところに連れてきてくれたし。

全然気づいていなかったけれど、みんなが、私を支えてくれていた、ということ。

ずっと前から、ずっと、ずっと前から。

主人公が自分だった!ということ

こんにちは。

今日は、また冬っぽいですね。寒くて、コートを着て

子供を保育園へ送ってきました。

保育園までの道、子供と歩くのが好きです。

仕事をしていた時などは、しゃーっと自転車で

送り迎えしていました。

あの時は、時間に追われていましたから。

 

ゆっくりと歩くと、たくさんのものに気づくことができます。

きれいな葉っぱや、ゆっくりと季節が動いていること。

松ぼっくりやら、親切なおじさんやら。

工事現場で、安全に通れるように誘導して下さる方。

優しい気持ち。

 

駆け抜けて、時間に追われて、たくさんの美しいものを

見過ごしてきました。

そんなのはもったいない!世界は美しいです。

もう、ゆっくり生きます。

 

さてさて。

この数日、何かがぱしっと見えそうで、見えていない感じがして、

何かが繋がりそうで、まだもわもわした感じで。

何かが、あともう少しで、どっかーんと、きれいに腑に落ちそうな予感です。

 

まだ、自分の中で、不確かというか、え?え?あれ?いいのー?という

感じですが、

このもわもわも混みで、文章にしたいと思います。

 

「主人公が自分だった!」

 

この感じが、数日前にいきなりしました。

自分の中に、数々のパズルのピースがあって、それを、うまく

繋ぎ合わせると、がしっと、すごい絵が出来上がるような、

そんな予感というか、うわーあともう少しなんだなぁ、というのが

よくわかっています。

 

自分の心が教えてくれること、それに従っていること。

私を、本来のところへ導いてくれているんだ、というのは

わかっています。

でも、え?え?いいのー?いいのー?と戸惑っている私も、います。

多分、その最後のところが

「主人公は私だった!」

という、ものすごい世界みたいです。

この前、それの予告編みたいなものを、私に見せてくれました。

 

自分の母のことは、手放しました。

傷つけてくる人から、自分を守ってもいいんだ、とある時気づいたからです。

傷つけてくる人が、私の場合、母だったので、

実の母だよ、いいの?と感じている自分がいましたが、

ある時、あーもう、いいや、とすぱっと手放しました。

特に連絡もしていません。

ありがとう、と思います。でも、もう嫌いになりたくないです。

私の世界を荒らしてくる人からは、ちゃんと、

大切な自分の世界を守らなくちゃ、と思って。

 

主人も、私の中では、うーん、とても難しい人で。

でも、少し前に、自分の心に素直に聞いてみたら、

彼からも、たくさん、傷を負っているな、と、よくわかりました。

見ないように、していました。

見てしまうと、足が止まってしまうようで。怖かったです。

多分、自分の中で、結婚した人だし、嫌いになりたくない、失望したくない、

心の中で、切りたくない、と必死に抵抗していたみたいです。

 

あきらめそうになっては、また自分を奮い起こして、

「自分の思い描く(理想とする)結婚という状態」へ

自分を引き戻して、戦ってきましたが、

たびたび、

自分の中の疑う気持ちや、あれ?この人って、嘘ついているよね、と

わかってしまう感じ、なんか、つじつま合わなくない?と感じること、

うわ待って、不誠実だなぁ・・・・と思ってしまうこと、

心臓がぎゅっと縮こまる感じ、そういうのが、ありました。

 

それを、自分で、ちゃんと、見つめました。

もう、彼からも、自分をちゃんと守れるだけの距離感を取らないと、

自分が傷つくだけだ、というのも、わかってしまいました。

気づいていなかったけれど、結婚とか、結婚相手、に

執着していたんだと思います。

 

そして、同時に、私も彼を同じように傷つけてしまう、ということ。

 

私と彼は、おもしろいです、光と影、陽と陰、みたいなんだ、と

よくわかりました。

本当に、適切な距離をお互いに取らないと、お互いがお互いを傷つけてしまう、と。

ハリネズミのジレンマ、なんです。

 

端的に言ってしまうと、

私ができることは、彼ができなくて、

私ができないことは、彼ができるんです。

 

そして、お互いの価値観を認め合うと、

私たちは、顔を合わせない方が、うまく行く、のかもしれない、

というのが、なんとなく、わかりました。

 

私は、もう、彼に傷つけられたくないし、

彼も同じように、私から傷つけられたくない、と思っています。

 

私と彼は、本当に、同じなんだ、とよくわかりました。

私が快くできることは、彼は苦手でできなくて、

私が苦手で上手にできないことは、彼が問題なくできるし、やりたいと思っている。

2人で、ちょうど、きれいな〇になる、みたいです。

 

性格も、考え方も、価値観も、全然違っています。

育ってきた環境も、全然違います。

本当、真逆だなぁと感じるところがたくさんですが、

不思議なことに、傷つきやすい心が、同じなんです。

 

ここに来るまでに、たくさん、学びました。

彼と結婚したからこそ、結婚というある種の縛りを自分で設けたからこそ、

逃げないで考えよう、逃げないで自分の中を変えていこう、と思いました。

それまでの私は、人間関係で息詰まると、すぐに人を切ってきました。

彼のおかげで、私はどんどん、自分の中を変えることができました。

どんどん、軽くなって、どんどん、黒いものが、減って行きました。

だから、ものすごく、感謝しています。とっても大変でした、でも、

本当にありがとう、と思いますし、私に愛を教えてくれたのも、彼です。

 

自分があらゆるものに、感謝できて、うれしくて、幸せで、

ふわーっと軽くいられる状態を保つためにも、

不思議なことに、少し極端ですが、

彼とは顔を合わせない夫婦、でいる、ということです。

彼の仕事、やっていることにも、もう口出ししないようにします。

 

全部、自分の心を中心に物事を見てみたら・・・・・

私には、もう全部、ありました。

ここに、全部。もう、持っていました。

 

この「主人公が自分?だったの?え!いいの?」という感覚。

とても驚きましたし、同時に、本当に生まれてから、これまで

たくさんの人たちに、支えられていたんだ、と

改めて感じました。

これまで出会った人たち、私の人生に登場した人たち、みんなが、

私に何かを伝えるために、ちゃんと、うまく、配置されていたんだ、という

驚き。

 

私はこんなにも、こんなにも、愛されていたんだ、と、

とても感動しました。

 

世界はすごいです。生きている、ってすごいです。

出会う人、出会うもの、景色、周りにあるあらゆるもの、事柄・・・・

全部、偶然ではなくて、必然で、用意されているなんて。

 

私はとても幸せです。

 

みなさん、どうもありがとう!

涙がたくさん出ました。