日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

甘えと自立

こんにちは。

今日も相変わらず、ぼんやり静かにしています。

溜まり過ぎていた、子供の保育園での作品を少し整頓したり、

メールアドレスの管理をして、使いやすくしてみたり。

 

外は、白くて、静かで、少し涼しくて。

今の私にぴったりの静けさです。

 

これは。

私の中の膿出しの一環なのでしょうか。

燃え尽きてしまったようで。

時々、ドキッ、ドキッと、心臓が強く鼓動しているのを感じます。

さあ何かをしよう、という気力と体力が抜けています。

そして、これまた時々、

何かしなくていいの?

動かなくちゃ!

何かの、誰かの役に立たなくちゃダメだよ!

と、動かない私を突っつく、意地悪な考え(ただの焦りみたいなものです)が

やってきます。

 

でも、今はそれも

へいへい、わかっていますって。今はなんだかどうしても、動けないのよ。

と、スルーしています。

 

きっと、この、スルーできるか、できないか、を試しているんだなぁと感じます。

今は、焦りに持って行かれないようにして、

そうして、次に、あ!これやってみよう!が降ってくるまで待つ時間です。

 

では。

 

甘えと自立

 

私の母は、私が生まれる前から、仕事をしていました。

(このブログで、母のことは何度か書いていますね)

時短(当時あったのかしら?)、とか、パートタイムとか、ではなくて、

正社員、として働いていました。

小さい頃の記憶では、

とにかく、母には時間の余裕も、気持ちの余裕も、体力の余裕もなくて、

ぴりぴりしていることが多かったです。

子育てをゆったりと楽しむ、なんていう発想は全くなかったようで、

私は生後2か月から、母の職場の託児所に預けられて、育ちました。

+母方の祖母とよく過ごした記憶があります。

(その後の保育園の送迎も、歯医者さんへの付き添いも、祖母でした)

 

私は母に甘える、ということがほとんどできず、反対に、

自分のことは自分でやりなさい、と、小さい頃から自立自立の方向へ

向かわされていました。

母の、「忙しいから構わないで」オーラをびしびしと

感じ取っていたので、

言いたいこともあまり言えなかったのかもしれません。

 

今、自分が2人の娘を持つようになって。

 

私は母のように、働こう、と思いませんし、

自分のこと・仕事のことでいっぱいいっぱいで、

自分の子供たちの様子をほとんど気にかけないで、

プラス、

子供の年齢による成長過程(心の成長、能力)などを全く気にしないで、

子供と一緒に暮らす、という荒業は、到底できないなぁ、と思います。

 

例えば。

赤ちゃんはたくさん抱っこしてもらって、たくさん甘えて、

そうして、だんだんと、お母さんから少しだけ離れてみようかな?という

心の成長過程をとるようです。

まずは、なによりも、甘える。甘えて、甘えて、甘えたいタンクがいっぱいになって

初めて、さて、では、ちょっとお外へ出てみようか、という気持ちになるようです。

甘え・自立・甘え・自立・甘え・自立・・・・・・

これの小さな繰り返しで、少しずつ、少しずつ、まずは膝から離れ、30センチ離れ、

1メートル離れ・・・・・・とできるようになるようです。

お母さんは、自分の絶対的な味方である、安心できる人である、

と赤ちゃんが思えるようになるからこそ、

冒険したり、自分でやってみよう、と思えるようになる、ということです。

(出産してから学んだことです)

 

私の場合。

十分に甘えるをかるーく飛ばして、いきなり大冒険へ放り投げられたようです。

少しずつお母さんと一緒にやってみようね!はスキップして、

次からは自分ひとりでやりなさい、と言われ続けていた感じです。

うまくできなかったりすると、母に余裕がないので、

「うん、一緒にやろうね」ではなくて、

「・・・・全くもぅ(手間取らせるんじゃねー的な)」と

軽くイライラして、手伝ってくれました。

 

いきなりは上手にできないよね、だったり、

段階を踏んで、少しずつできるようになってきたね!は

省略でした。

 

その時の私は、

「私はお母さんの足手まといみたいだなあ」

「どうしてそんなに怒っているんだろう」

「私はどうやらすごく困った子供なようだ」

と心の中で感じて、固まっていることが多かった気がします。

 

子供の頃のそんな苦い記憶ばかりがあって。

 

自分の子供には、母にされたようなことはしたくない。

強く、こう思う私がいます。

十分に甘えさせてあげる前から、自分のことは自分でやりなさい、と突き放すこと。

 

きっと、その子供、子供によっても、差があると思います。

とってもとっても甘えたい子、結構甘えはあっさりで、冒険へ向かいたい子。

年齢によっても違ってきます。

0歳の子育てと、5歳の子育ては、違います。

目安でいいから、だいたい、これくらいの年齢の子は、どういう成長過程に

いるのかな、と関心を持って勉強することも必要だと感じます。

 

でも。

親に甘える、を知らなかったので、

私は、自分の子供が生まれたばかりの頃、

私を頼って来るなんて、なんという勇者だ、と思いましたし、

とんでもないものを持ってしまった、と正直思いましたし、

もう少し大きくなってから、子供が抱っこー、抱っこーと甘えてくると、

心の中で反射的に、

「は?ふざけないで、甘えないでよ」と

拒絶する私がいました。

でも、同時に、母に甘えられなかった自分の悲しい記憶もあって

甘えさせてあげなくちゃいけないんだ、と思っている自分もいました。

 

頭では、子供にはたくさん甘えさせてあげる必要があるよね、ふむふむ、と

わかっていても、

心は、私自身の甘えたかった気持ちが消化できていなくて、

頭と心がバラバラで、なかなか大変な子育ての始まりでした。

 

母に甘えたかった、という気持ち。

1度、泣きながら、母に気持ちをぶつけたことがあります。

泣きながら、なんていう生易しいものじゃなくて、

奥底から、湧き上がるように、むせび泣きました。

 

「そんなふうに、思っていたんだね。」

「そうか・・・・。とっても寂しい思いをさせていたんだね。」

 

きっと母がこんなふうにその時答えてくれたら、

まだ少しは救われていたのかもしれません。

 

でも、私の母は、すごいです。

(今思い出して、軽く笑ってしまいました)

 

「じゃあ、何?この年になって(今更)、手をつないで、動物園とか行けばいいわけ?」

 

あーうん、そうかそうか。

もう、きっと、本当に、子供の心をわかろう、と思わないんだね。

私が母にわかって、と思うこと自体、馬鹿げているんだね。

OK、OK。

 

 

だから、自分で自分のことは癒しました。

甘えたかった小さい自分を呼び出して、思い出して、できるだけ、

そうだよね、嫌だったよね、寂しかったよね、いつもひとりでいるみたいだったよね、

と、癒し続けました。

 

そうして、少しずつ少しずつ、

自分の子供に甘えられても、イライライライラッとする自分が消えて行きました。

 

でも。

いつだって、手探りです。子育ては。

甘えをあまり知らない私は、どこまで甘えさせてあげたらいいのかも

よくわかりませんし、

母が私にしたように、突き放して自立を促すことは、きっと得意ですが、

それには、自分の娘の年齢的なものも、関係してきますし、

なによりも、娘の中の甘えたいポケットが満たされているのかどうか、も、

見極めなくてはいけません。

育児書や、ネットの情報はあくまでも、本当に目安で、

自分の子供の性格やら、傾向、気質、そういうものをじっと観察して、

いい塩梅、いい匙加減で、甘えさせたり、自分でやらせてみたり、

調整していく必要があると思います。

 

しかも、育て方には正解とか、不正解、とか、ないですしね。

自分が、今やっていることの、結果、というか、全体像は、

娘がきっと自立してから、ばーんと客観的に見えてくるのかなぁとも

思います。

 

誰かの役に立ちますように。

最後まで読んで下さってありがとうございます。