日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

自由と制限

こんばんは

昼間は晴れているけれど、空気が透明で、少しだけひやっとして

いつの間にかすっかり秋になりました。

そして、日が暮れるのがすっかり早くなりました。

 

そうして、寒さに弱い私は。

外が涼しくなってきたので、もう早速、

からだの小さな筋肉が凝り固まってきて、

からだがごわごわしてきました。

ああ、つらい。

 

今日は自由と制限について、です。

先日のブログと、自分の中では

繋がっているテーマです。

そして今日も、子育て絡みのお話です。

 

自分の子供時代を振り返ってみて。

私は、母の口出しと検閲と言う名の制限をかなり受けていました。

(まずは私の好きなように)やってみたらいいよ!という自由はなかった気がします。

それよりも、まずは、

母が気に入るかどうか。母の価値観に合っているか。

母の基準を満たしているか。母基準の善悪に沿っているか。

そういうものを中心に、口出しされることがとても多かったです。

だからよく、

「非常識ね」やら

「そんなことをするのは不良だわ」だったり、

「扶養家族の分際で、よくそんなこと言えるわね」などと

言われていました。

 

大学に入って、やっと自分の時間をちゃんと持てるようになった時。

(それまでは、進学、定期テスト、予習やらで、本当に勉強漬けの日々でした)

 

 ゆっくりと、初めて、自分の家族、というものを

客観的に見つめて、自分自身について考え始めたわけです。

 

こんな子供時代を過ごした私が、

今、5歳と1歳の娘を育てている最中です。

 

自分がやられてとても嫌だったから、それを娘たちにはしたくないなぁ・・・。

全般的にこういう気持ちが強いです。

甘えと自立、のブログで書いたように。

 

では。自由と制限。

うーむ。

制限ばかり受けて、それが嫌だった私がいて。

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もちろん、必要な制限と不必要な制限があると思います。

制限が嫌だったからと言って、子供たちには、ではなんでも好きにしていいよ!は

ただの放任だと感じます。

 

ただ。

制限を強く受けて育った弊害を自分で感じることがあります。

四方八方を柵で囲まれて育った動物は、それが当たり前だと思って、

柵の存在に気づいた時、そして、いざ柵から外へ出てみようと思った時、

野生本来の自由さをすでに忘れてしまっている、というか。

もう、柵を立てられていることが当たり前になってしまっているので、

いざ、出よう!と思った時でも、

どこまで自由をしていいの?という感じなのです。

 

自分の中に、姿の見えない柵が何本もあり(刷り込み?)、

それを注意深く飛び越え、自分で叩き壊し。

でも、きっと・・・。

まだまだ、自覚のない、目に見えない柵が私にはあるような気がします。

 

頭の中で、娘たちには理不尽な制限は付けたくないなぁ、と思っています。

最初に制限ばかりを付けられてしまうと、魂が縮こまってしまって

自由を思い出すのに、大変な苦労をする(自分の経験から)。

だから、ダメダメダメの柵ばかり立ててしまったら、

子供がのびのびと育たないなぁ。うーむ。

こんなことを考えています。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー今5歳になる娘は。

2歳になったばかりの頃。ものすごいイヤイヤ期が来ました。

(噂に聞いていたイヤイヤ期。いやーこんなにも、人生に抗議するの?っていう

くらい、大泣きして、床を叩いて怒り、スーパーや道路でも寝ころんで

喚いて泣いて。ただただ、すごかったです)

 

その頃。今はこういう時期だから仕方ないよね、と大きく包んであげられる私は

残念ながらいなくて、時々、娘の怒りに持って行かれて、

私もぶち切れてしまっていました。

 

『世界・初めて物語』過ぎて、そのイヤイヤ期真っ最中の娘に

どう接したらいいのか、本当にわかりませんでした。

途方に暮れました。

結構悩み、保育園の先生にも相談しました。

 

「大丈夫ですよ、今そういう時期なんです。

1年ぐらいで落ち着いてきますよ!」

 (えー、こんなのがこの先1年も続くの・・・・?)

 

荒れ狂う炎のような時期は半年くらいで、少しずつ少しずつ、

マイルドな炎(それでも炎です)に変わって行きました。

そして本当に、1年弱ぐらいでイヤイヤ期は終わりました。

 

(ふぅー、やっと、イヤイヤ期とやらも終わったようだな・・・・)

 

そして娘は3歳になりました。

今度は3歳になった途端。

私の行動の上げ足を取るかのように

「自分でやりたかったのにーーーーぃぃぃ。ギャーーーー!キーーーー!」

という、何でも自分でやってみたかった!という抗議の時代が来ました。

 

(え、あの・・・・え?えっとえっと。イヤイヤ期って2歳で終わるんじゃなかったの?え、何、今度は何があるわけ?)

 

トイレに付いていって、私がお水をジャーっと流せば

大泣きして「自分でお水したかったのにー」と怒られ、

スプーンで何かを口に入れてあげれば

大泣きして「自分でスプーンしたかったのにー」と怒られ、

娘が手を洗い終えたので、タオルを渡せば

大泣きして「自分でタオル取ろうと思ってたー」と怒られ。

これまた恐ろしい時代でした。

 

今、遠く振り返ってみると。

イヤイヤ期は娘の心にとって、自己主張をするために必要な時期であり、

この猛抗議の時代は、娘には娘の気持ちや感覚、ペースがあるのよ、ということを

周りに広く示すために大切な時期だったんだなぁと思います。

 

猛抗議の時代は半年くらいで落ち着きました。

そして4歳になり・・・・今、5歳になりました。

 

5歳の長女は、小さい頃から、自分の主張が強い方です。

自分のスタイルもあります。独自の世界もあります。

そんなこともあって、私は彼女を

尊重する、というスタンスでやってきました。

娘は私の持ち物の一部ではありませんし、私のおもちゃでもありません。

彼女は彼女。私は私。

私は幼い頃に、母から全然尊重されて来なかった、という苦い思いもあるので

娘の気持ち、意思を確認するようにしています。

隷属の存在ではないので。

 

尊重と自由も紙一重で。

本当に難しいです。

いいよいいよ、好きにしたらいいよ。ばっかりでは、これから先の

彼女の人生を考えたら、ダメだよなぁって思います。

躾、という概念もありますし。

ジャングルの中でひとりで生活していないので、

基本的には、集団やら、他人との関わり合いの中で生きて行くことになります。

 

娘は保育園に通っています。そこでは集団生活、というものがあります。

ごはんの時間になったらごはんを食べる必要があるし、終了の時間までに

食べ終える必要もあります。

 

完全に自分の好きにしていい時、と、それは許されない時。

そういうものの使い分けを学んで欲しいと思いますし、

年齢的に理解できる、できない、もあります。

それには、これまたいい塩梅といい匙加減で、自由と制限のバランスを

注意深く取って行かないといけないのです。

 

歯磨きやお風呂、疲れ具合など、自分のからだをちゃんと考えることも、

教えてあげないといけないのです。

 

 

譲り過ぎていたこと、でも書きましたが、

私は、最近、この5歳の長女に譲り過ぎていたことに気づきました。

 自分が制限ばかりを受けて、とても嫌だったので、

娘には、いいよーいいよーとずっと、譲ってきました。

自由と、甘えを満喫する時期なんだ、と。

内心では、彼女の甘えポケットが満たされて、自分でやってみよう、と

思えるまで、待っていよう、と思っていたのです。

 

でも。

気づいたら、笛を吹いても、集まって来ない羊みたいになっていました。

着替える時も私が手伝い、歯ブラシも、最初から私が。

お風呂でからだや髪を洗うのも、私。保育園で、帰る時のお仕度をするのも私。

お風呂に入るからテレビをもう消してーと言っても完全スルー。

さあ、ごはんだよーと言っても、自分が見たいところまでテレビを見終えないと

食卓には来ない。

 

まずいまずいまずい。

 

自分でもうできてもいい年齢なのに、私が、それを超えて、

手伝ってしまっていた、ということです。

娘が、もう自分でやるよ、と言うまで待とう、と思っていましたが、

違いました。

娘は、私が自分でやろうね、と突き放さないと、いつまででも、

私にやってもらおう、やってもらえる、と勘違いしてしまっていたのです。

完全に私が見誤っていました。

 

 

優し過ぎること、はダメなことだ、というのは、ここでもよくわかったことでした。

優し過ぎることは、時には、誰かが自立する力を奪ってしまう、ということ。

自分で立てるのに、立とうとするのを私は妨害していた、ということです。

 

恐らく。

子供には、生まれてから3年から4年?くらいは、自由、を教えてあげたらいいと思います。

いいよいいよ。好きにやってみて。(もちろん、命に関わることはダメですが)

そうして、自由をちゃんと知った後で、

少しずつ、制限や自立への導き、というものを設けてあげる必要があるように思います。 

マナーやルールや、決まりや、そういうものも、教えてあげる必要があります。

ジャングルに生きるわけではないので。

 

これに気づいてから。

娘には、ばしっと叱ったり、ちょっと声音を変えて、伝えるようにしてみました。

テレビを消して!って言ったら、消そうね。

お風呂に入ろう、って言ったら、お風呂に入るお仕度しようね。

自分でお洋服は自分で着ようね。

髪の毛を洗ってみようね。

 

保育園でちゃんと頑張っている分、家では少しぐらいは甘えさせよう。

この、甘えさせよう、が、私はちょっと長過ぎたようです。

 

難しいですね。

塩梅と、匙加減。

 

誰かの役に立ちますように。

読んで下さってありがとうございます。