日々のこと 感じたこと

HSP/子育て中の私の備忘録です

すべてのことが愛おしく感じるということ

私の記録

 

車椅子を押している時

ふわっと高いところへ意識が行ったようで

この世界で体験しているあらゆることを

ただただ愛おしく尊い、と感じる感覚の自分になっていた。

 

きっと、いいことも、悪いことも、笑えることも幸せなことも、

悲しみでビリビリになりそうなぐらい苦しく泣くような経験も

 

みんなみんな、ただただ体験したくて、経験してみたくて、

それを選んでここへやって来た、ということ。

 

それを一瞬、ふわっと思い出した瞬間だった。

 

涙が出そうなくらい、感動していた。

ああ、あらゆることが 愛おしい、と。

十和田神社と十和田湖

こんばんは。


昨日から、本当に十和田湖へ来ています。

前回のブログから1ヶ月弱。


本当に来ちゃいました。


ちょうど私が東北に向かう日から

全国的にものすごい寒波に覆われて。


この辺りは最高気温-7℃。

もうどうしたものでしょう。

寒いのが苦手な私が。


十和田湖のざっくりとした情報しか集めず、

2日目は奥入瀬渓流を散策しよう、むふふ

(歩くの大好きなのです)

などと思っていましたが。


昨日。

バスで八戸から十和田湖周辺へ向かう途中、奥入瀬渓流を通って来ました。

この時期、それはとんでもなく無謀で

且つ、

本当に遭難できる、と確信したので中止にしました。


渓流周辺の道路には人が溢れる写真を見たのですが…。

(恐らく春や紅葉のシーズン…)


今はどうやら完全なるオフシーズン。

外へ出ても車は数台、人はほぼ誰もいません。

開いているお店もほぼ皆無です。


この辺りは青森でも一番寒く、一番に雪が降り始め、そして一番最後まで雪が降っているようです。


凍結したつるつるの路面を想像していましたが、雪はさらりと軽く、ふわふわで

とても歩きやすい雪です。


歩くたびに

ぶりっ ぶりっ

と音がします。




さて。さて。


あの「十和田湖」のテロップ付き映像を見てから。

何度も何度も自問自答していました。


十和田湖に行って、どうしたらいいの?

どうして、呼んでいるの?

何をしたらいいの?



心に浮かんだのは


「浄化」という言葉。


浄化。浄化。


そして、十和田湖を調べる過程で

十和田神社のこともわかってきました。


龍神さま。龍神さま。


ふーむ。

私を呼んでいるのは十和田神社

龍神さま?



なので。

十和田湖周辺に到着してすぐに、

十和田神社へお参りに行きました。


白い雪とゴツゴツとした岩とこげ茶色の杉並木。

厳かで背筋がしゃんと伸びるような雰囲気でした。


寒くて、そして寒さに慣れていなさ過ぎて、

昨日は参拝して、すぐにお宿へ帰って来ました。


そして2日目の今日。

奥入瀬渓流散策は諦めたので、完全にフリーでした。


やっぱりまだ、十和田神社が気になります。

なので今日も十和田神社へお参りに行きました。


氷点下の気温にも少しだけ慣れて、

昨日よりも落ち着いた心持ちで参拝できました。

ここへ呼んでくださったことのお礼を伝えると、つつっと涙が出ました。


そして、十和田神社の右手奥にある

階段にも登ってきました。

その頂上には

龍大権現さまが祀られています。

そこでも手を合わせることができました。


とてもからだが軽くなりました。

すっきりとしました。


参拝を終えて鳥居をくぐると

突然ぱーっと日が差して来て

とても美しい風景を見せてくれました。



呼ばれた目的を果たせたようで

とても嬉しかったです。


その後は

びゅうびゅう風が吹く中、

十和田湖周辺を歩いてみました。


今日は対岸も初めて見えました。





最後まで読んでくださりありがとうございます。

導きに従って

こんにちは。


随分と間が空いてしまいました。


今日は11月とは思えない程に暖かく、

むしろ暑いぐらいです。

寒いのが苦手な私にはとても嬉しいです。


さて。

さて。


いつからかわかりませんが、

目をつぶると目の奥にいつも静かな湖が

見えていました。どこの湖なのかは、わかりません。


少し色が褪せて見えていて、

とても静かで穏やかで、なんとも平和な湖なのです。誰もいません。

そして、寂しい感じは全くしません。


目をつぶって、その湖へ戻ると

すうーっと平穏な心持ちを思い出せます。


一瞬、わっと感情的な気持ちに襲われた時、


湖…

湖…


とすぐに心の湖を思い出して、冷静さ取り戻すために使っていました。


毎日のように、その湖を思っていました。


私にとって、その心の中にある湖は、

平穏な地点、そのものです。




今週の初め。

朝起きて、コーヒーを用意している時。


ふいに

あ、しばらくあの湖のことを忘れていた!と

思い出しました。


その次の瞬間に見えたのは。


あのいつもの湖と、

その映像の下に、明朝体


十和田湖


とありました(テロップ?)。


と、十和田湖


それまで十和田湖は聞いたことがありましたが、

どこにあるのか?どんな湖なのか?

全然知識を持ち合わせていませんでした。


ふーむ。

うーむ。

ずっと私の心の中に見えていた湖は、どうやら未だ見たことのない

十和田湖だったようだ…と感じました。


こんなのは、初めての経験です。

丁寧にテロップまで付けて!

十和田湖へ呼ばれているんだわ、と思いました。


その日から、怒涛の如く

十和田湖への旅について調べ始めました。


飛行機。新幹線。在来の電車。バス。

どのルートで行ったらいいのか…。

ものすごい集中力で

ざくざく情報を集めました。


そして、あの日から、

湖の景色の色が濃くなってきました。

より、生き生きした湖が目に浮かぶようになりました。


なので。

12月に十和田湖へ行ってきます。

寒いのが苦手な私が…。まさか冬の東北へ行くとは!


でも十和田湖がなぜか私を呼んでいます。

何があるのか、何が待っているのか。

全然わかりません。


でも、行ってきます!


読んで下さってありがとうございます。

今日も善い1日をお過ごし下さい。


できること

こんにちは。

今日は強い風が吹いています。

でも空気がやわらかで、ふんわりと暖かで、嬉しい気持ちになります。


今、世界中でコロナがどんどん広まっています。


私は、イタリアに10年住んでいたことがあります。

そのイタリアも、今は本当に大変なことになっています。

いろいろグダグタな不正のある国ですが、

でも明るくて、太陽の光がたくさんあって、

特有のゆるさも、私は好きでした。


生活していた、ということもあり、

イタリアの現状はとても気になっていました。



私がまだイタリアにいた頃。

日本で東日本大震災が起こりました。


その時、友達やバールの顔見知りの店員さんが

毎日のように、

日本の家族は大丈夫?

みんな無事?

と心配して声を掛けてくれたことを思い出しました。


私の両親は無事でしたが、

でも、その優しい心遣いをとてもありがたく感じました。


今の私に、何ができる?

今、イタリアの人たちがすごく困っている。

何が、できる?

友達やお世話になった方々の顔がちらつきます。




寄付!

よし、イタリアへ寄付しよう!

と思い立ちました。


調べてみましたが、確実にイタリアに届けてくれそうな団体は見つけられませんでした。

欧州の赤十字が検索でヒットしましたが、

仮想通貨でも寄付できます、と。


私は仮想通貨など持っていません。


うーん、違う、違う…。


さて。

さて。

どうしたものでしょう。



そして。

次の瞬間、閃いたのは。


国境なき医師団

https://www.msf.or.jp/


でした。


その数日前に、ネットで

ICUで13時間ぶっ通しで働いた後の、

イタリア人医師の姿を見たばかりでした。

(目の周りには感染防止のゴーグルの跡がくっきりと付いて、疲れ果てていました)


今、最前線の最前線で戦っているのは医療従事者の方々です。

彼らへの援助、潤沢な医療設備や医療備品等、逼迫しているものです。


少しばかりですが、国境なき医師団へ寄付をして、私の気持ちもだいぶ治まりました。

医療を通してイタリアに何か貢献できるといいなあ!


目の前の不安に取り込まれて、必要以上にマスクやトイレットペーパーを買うよりも、

その分のお金を

医療従事者へ寄付して下さる方が増えますように。


わあ大変ねーと対岸の火事のように扱うのではなく、

こんな時こそ、助け合うのです。


読んでくださってありがとうございます。


エンパスのゆらゆら

こんばんは。


なんだか世界は大変なことになって来ている感じです…。


外界の情報をシャットアウトしても、

それでもネットの検索バーを開くと、

みんながどんなことにゆらゆらしているのか、伝わって来てしまいます。


子供の保育園へお迎えに行くと、

ウィルス情報が掲示してあり、

お母さんたちが不安や心配を口にし、

どうしても耳に入って来たり、

目にしたりします。


私も夕方は少しゆらゆらし、

6歳の娘も珍しく、わーーーっと大泣きしました。


エンパスだと、特に、この今現在の、

混沌として、みんなが不安に駆られているのが

自動的に入って来てしまうかもしれません。


そこを、きちっと、自分と切り離すこと。


自分の中は常に安全で平穏なものに包まれていること。


冷静さを今一度、取り戻すこと。


右往左往しないで軸がぶれないようにすること。



グラウンディングをしたり、

瞑想をしたりして、

自分の中にある穏やかな湖を取り戻すこと。



そして、遠く離れて、冷静なところから、

不安に駆られて、右往左往してしまっている人たちに、

神様の光と癒しのパワーを送ること。


これが、今、私たちにできることです。

夜に送られてきたメッセージでした。


読んでくださってありがとうございます。

知らぬが仏

こんにちは。

随分と間が空いてしまいました。


今日はお天気がよかったので、子供たちと一緒にピクニックをして来ました。

いつものように、シートを敷いて。


おにぎりを食べる前に、まずはごろーんと横になって空を眺めました。


(あーそうそう。この開放感。)

(自分と空の間に何も遮蔽物のない、この感じ。)

とってもスッキリします。


さてさて。


知らぬが仏。


これはいろいろな媒体を通じて私にやって来たメッセージです。


何気なく見てしまうネットのニュースや、テレビの番組。

ザラザラザラザラと無意識に、恐怖や不安の種を自分に植えつけてしまいます。


繰り返し、繰り返し、報道されますからね。


特に今は、コロナウィルス?


例えば、こういう症状が出る、とか

潜伏期間とか、こうしないと感染の恐れが出てくる、とか…。どこで何人亡くなった、とか。


予防?のつもりで、それらを見たり聞いたりしてしまうかもしれませんが、

それがむしろ逆効果で、

「知らなければ」それが自分の世界に近寄って来ることはないのです。


自分の思考を基に、どんどんと自分の世界がこの瞬間にも作られているのだから、

余計なことを知らなければ(コロナウィルスのことやら、インフルエンザのことやら)、

それが自分の世界に反映されることはない!ということです。


もちろん。

意識的に見たり聞いたりしないようにしていますが、最低限のことは、耳に入って来ます。


だから外出する時などは

卵型のバリアを張って、

「いかなるウィルスもわたしには近付けません」

とおまじないの言葉で自分を守ります。


お薬屋さんやコンビニでは、マスクの棚がガラガラです。

怖い、予防しなくちゃ!と思っていればいる程、どんどんと病気の方が近づいて来てしまうのです。


多くの人が、恐怖心と不安に突き動かされてしまっています。



思考は現実化するのです。

欲しい情報は自分で選択すること。

意識的に。


自分の望む未来を私は自分に生きさせてあげたいです。


読んでくださってありがとうございます。


しゅわっと溶けたこと

こんばんは。

日差しが夏みたいに強いのに、空気は少しだけ涼しくて、

そう、これが爽やか、というものだ、と

気づきました。


こんな時にお散歩するのは本当に気持ちがいいです。



今朝の出来事です。


繰り返し、私にやって来ていたサインがありました。

宇宙に、すべてを委ねてください、と。


力を抜いて、自分の出来る範囲でやればいいや!と思って、やっていました。


でも、繰り返し、このサインはやって来ていました。


はて。

ふーむ…。


今朝起きてすぐ、ふいに、

そのことを考えました。


本当にふいに、でした。



私は、まだ何を、必死にがんばろうとしてしまっているのだろう…と。


…………。





!!!!!




ここから抜け出すために、

経済的にどうにか自立しなくちゃ!と

思っている、と

見えた瞬間。



炭酸飲料のしゅわしゅわのように、

しゅわーーーーっと、

肩の力、そして胸のあたりから

何かが下へ向かって溶けていきました。


すごく、びっくりしました。

(かなりの強炭酸でした)


そして、ずっとずっとずっと、

本当に知らないうちに、

無自覚に、

からだに力が入ってしまっていたことに気づきました。

いや、これを体感して、わかりました。



肩の力を抜きなさい!

ゆるーくね!


と言われても、たぶん私はずっと

肩の力を、からだの力を抜くことができなかったのです。


そもそも、からだに力が入っていない状態、というものを、

本当にいつからか、なのかはわかりませんが、

わからないでいたのです。


整体へ行っても、整骨院へ行っても、

施術者が驚くぐらいに、

筋肉がこわばって、硬い、と言われていました。


肩と、心に、知らないうちに力が入っていました。


無自覚、というのが、また、怖いです。


今こうして、肩からも、心からも力が抜けた状態で。

からだが、そして気持ちがふわーっと

軽くなりました。


自分で、どうにかしなくちゃ、と

奥の奥の方では、ずっと

がんばってしまっていたようです。


それをきっと、やっと、手放すことができたのかもしれません。


このふわふわで、

どうなるのか、宇宙に委ねて生きてみようと思います。


また新たな実験です。


読んでくださってありがとうございます。