愛とは
こんばんは。
すっかり秋になって、夜がどんどん早くなってきました。
季節はいつだって進んでいますね。
愛とはなんでしょう。
結構ずっと、こんな哲学者みたいなことを考えて生活しています。
愛とはなんだろう。
子供の頃、そして大人になってからも、愛がよくわからないでいました。
そして。
今の私が思うことですが。
わかりやすく見える愛みたいなものを、ずっと私は欲しがっていました。
愛みたいなもの。
助けて欲しい時に助けてくれる、とか、手を貸してくれる、とか、
優しい、とか、甘えさせてくれる、とか、
今思うと、なんとなく子供じみたというか、幼いものを追い求めていました。
でも、きっと、
愛は見えないもの、なんです。
いや、私がやっと、ようやく、この
見えていなかった愛、というものを
理解できるようになった、ということです。
きっと。
愛は、その人がひとりでもちゃんと生きていけるように、時には敢えて突き放して、見守る、ということだと、今は思うようになりました。
助けたり、さっと手を貸すのはとても簡単です。その場はしのげます。
でも、本当にその人のことを思うのであれば、誰かの力を借りなくてもその先、大丈夫なように、導いてあげること。
手や腕を使って、引っ張り上げるのではなくて、敢えて崖の上から、相手が自力で登ってくるまで、見ていてあげること。
口出ししないで、見守っていること。
なかなか、勇気がいることです。
ついつい、口出ししたくなります。
求められてもいないのに、アドバイスをしたくなってしまいます。
でも、自分の力で考えて、判断して、決断して、その責任を負って生きること。
誰かのせいにすること、誰かに決めてもらうこと、自分で考えないで、周りの人の意見にすぐに乗ること。
これでは、自分の人生に責任を持つとは言えません。
生きていることは、一人旅のバックパッカーみたいなものだ、とこの前思いました。
恥ずかしがっていたり、無意味に遠慮したり、失敗を恐れていたら、
とんでもなく実りの少ない旅になってしまいます。
逞しく生きていきたいです。
娘たちにも。
そして、親だから、という理由で、
これまでたくさん(不要な?)アドバイスを
してきました。
でも。
私も、5歳の娘も、1歳の娘も、
実は同じです。
みんな、それぞれの人生を、それぞれ学びながら生きている、ということです。
私には私の学びが。
5歳の娘には5歳の娘の学びが。
そして、1歳の娘にも1歳の娘の学びが。
前に5歳の娘に言われたことがあります。
子供はみんなしたいようにしたいんだよ。
と。
その時は、何を言っているの!と思いましたが、
今は、私が先に生まれたからと言って、あれこれ
口出しして、彼女たちの学びの機会を奪ってはいけないのかも!と思うようになりました。
それぞれを尊重して、ぶつからないように
生活すること。
彼女たちからは私も学び、そして、手出し口出しをしないで、見守っていきたいと
思います。
読んでくださってありがとうございます。